Ch.2:At the point of no return

2-1.『きっとまた会えるよ』

「――余所見よそみしてんなよー、露出狂」


 響いた声に、〈セーレ〉がまなじりを決する。

 整った顔に生まれた驚愕と動揺の波紋が、さっきまでたたえていた余裕を塗り潰していく。


 タキシードの肩越しに見える、仁王立ちのワイス。

 その前で、白狼シルヴィが、人ひとり丸呑みできるほど巨大なあぎとを開いた。


 奴はまんまと引っかかってくれた――アルバートは嘲笑を浮かべる。


 ――ワイスが車体に潰される直前。

 アルバートの幻影ホログラムが彼女を押し退け、身代わりになっていた。


 飛び散った血飛沫も、

 顔に浮かべた動揺も、

 持ち掛けた降参も、

 全て幻影ウソ演技ウソ虚偽ウソ


 車の陰に隠れた相棒が奇襲する隙をつくるための、時間稼ぎだ。


「それ、もしかして〈マルコシアス〉かな?」

「なに笑ってんの? ……キモ」


 乾いた笑いとともに振り返る〈セーレ〉に、ワイスは怪訝けげんな視線を送る。


 二人の会話をよそに、遠くから響くを捉えたアルバートは、苦渋の表情で〈権能インペリウム〉を発動。


「嬉しいよ、こんなところで成功例プロトタイプと会えるなんて」

「……それ、遺言でいいよね?」


 〈セーレ〉の言葉に碧眼へきがんが凍り付く。冷え切った声を合図に、白狼が牙をいて――


 ワイスの背後に勢いよくバンが停車した。


 運転席の幻影ホログラム転換スイッチしたアルバートが助手席のドアを開け、焦燥しょうそう安堵あんどの入り混じった顔をのぞかせる。


「ワイス、退くぞ」

「はぁ? こっからが面白いとこじゃ――」

「『警察署』の連中にバレた」

「……ぅ」


 付け足した一言に、駄々をこねていたワイスも苦い顔をする。

 生野菜を口一杯に頬張ほおばらせたときとそっくりだ。実際に見たから間違いない。


 舌打ちを残してワイスが助手席に飛び込み、アルバートはアクセルを踏み込みながらハンドルを思い切り回す。

 空転スキール音と黒いわだちを刻み付け、去っていく装甲バン。


「……逃げられると――」


 失笑混じりに指を鳴らそうとして、しかし〈セーレ〉の視線は横へ流れた。


 威嚇いかくじみたサイレンを響かせながら、数台の警備車が彼を取り囲む。

 黒い棺のような車体の後部から、特殊部隊SWAT並みの重武装警官が次々と吐き出されていく。


 ライオットシールドを構え包囲網を展開、全員が一斉に銃火器を構える。

 フルフェイスメット越しに〈セーレ〉へ注がれる視線は、獲物を前にした猟犬のよう。


 彼らこそ、『アガリアレプト警察署』の鎮圧部隊。

 厄介事トラブルの元凶をことごとく射殺し隠蔽いんぺいする――狂った正義の執行者。


 パトランプの赤と青に交互に照らされながら、〈セーレ〉は溜め息を吐いてタキシードの前を閉めた。



◆◇◆◇◆◇



 鎮圧部隊の出動により騒然とする路地の一角。

 少し離れたビルの屋上で、アルバートは鉄柵に背を預けそれを眺めていた。


 ――バンを走らせて距離を取った後。

 奴の最期さいごくらいは見届けたいと、ワイスが駄々をこねたのだ。


「あのハエども……人の横取りしやがって……」


 あからさまに不貞腐ふてくされた声の方向に目をやり、苦笑する。

 柵を越えてへりに腰掛けたワイスは、頬をふくらせて、宙に投げ出した両脚をぷらぷら振っていた。


 滅多に食べられない特上肉のステーキが、途中で大量のハエにたかられたような気分なのだろう。


 それにしても、と鋭く細めた目を向けた

先――〈セーレ〉は包囲されてなお、涼しい顔をしてたたずんでいる。


 窮地きゅうちにあっても崩れない笑みは余裕の表れか、それとも焦燥を押し隠すためか。


 なにせ相手は六大商会ギルドの一角。

 〈君主モナーク〉級の実力者とはいえ、一個人が敵に回すのは自殺行為に等しい。あの場で盾突くような真似はしないだろう。


 〈悪魔憑きフリークス〉とて不死身ではない。

 身体機能や肉体強度、治癒速度が飛躍しても、所詮しょせんそれは人間という種の延長線にしかない。


 いかにその身が頑健でも、

 いかに自然治癒が速くても、

 いかに強力な〈権能〉があっても、

 数十を超える自動小銃の一斉射撃を受ければ、頭と心臓は確実に損傷する。


 武装警察や軍隊を相手にして生き残れる〈悪魔憑き〉など、ほんの一握りしかいない。


 ――だが、もう俺たちには関係のないことだ。

 アルバートはあわれみの目で金色の旋毛つむじを見下ろした後、鉄柵から背を離す。


「これで奴もしまいだな。先に戻るぞ」

「……いや、みたいだよ」


 ワイスが小さくこぼしたあと、轟いたのは


「……なっ!?」


 思わず柵から乗り出して眼下を見遣みやると、〈セーレ〉の周りには、がいくつも咲いていた。


 ――それがであることに気付くのに、少し時間を要した。


「いきなり、人が……?」

「――手榴弾グレネードだよ。いつも持ってんじゃん、あいつら」


 乾いた声を上げるアルバートのそばで、大きく深呼吸したワイスが顔を歪める。火薬の臭いをぎ当てたか。


「整備不良か? ……いや、まさかな」


 我ながら馬鹿らしい仮説に失笑しているうち、眼下の風景に変化が起きた。


 〈セーレ〉のそばに建つビルの

 次いで、いくつもの立方体キューブ――ひとつひとつが数人まとめて圧殺できる大きさ――に分割されていき、


 呆然とそれを見上げていた武装警察たちに、音もなく降り注いだ。


 一拍遅れて悲鳴と怒号が飛び交う中。

 落下範囲のに立っている〈セーレ〉は、終劇を告げる舞台役者よろしく、うやうやしく一礼してみせる。

 華奢きゃしゃなシルエットが瓦礫がれきに遮られるその刹那――



 蒼玉サファイアの瞳が、確かにこちらを睥睨へいげいした。



 愕然がくぜんと目を見開くアルバート。

 挑発的に口角を持ち上げるワイス。


 二人と一人の視線が交錯。

 体感時間が引き伸ばされていく。永劫えいごうにも感じられる一瞬の中で……〈セーレ〉の唇が確かに動くのが見えた。


 、と。


「……っ」


 耳をろうする重低音と、濛々もうもうと噴き上がる白煙で我に返る。


 〈セーレ〉のいた場所は、既に瓦礫の山と化していた。

 巻き込まれた警官たちは赤い飛沫となって周囲にき散らされ、あるいは瓦礫の下から染み出し続ける。


 武装警察や軍隊を相手にして生き残れる〈悪魔憑き〉は、ほんの一握り。

 そして〈セーレ〉は――


 奴はまだ本気を出していない。

 もし、真剣まともり合っていたら――


 怖気おぞけこごえた心が、有り得た未来の幻想を強制停止する。

 頭を振ってそれを脳裏から追い払うと、アルバートは震えを抑え込むように唇を噛んだ。


「面白いやつだねー」

「あぁ、そうだな。……まさかあんなド派手な自殺を図るとは」

「いや死んでないって。あのホスト野郎とは、きっとまた会えるよー」

「根拠は?」


 にやりと口許をゆるませるワイスに、アルバートは疲労のにじんだ大きな溜め息を吐いた。


 相棒の直感は当たる。

 ――俺にとって嫌な内容ほど、


 夕日が沈み、夜のとばりが降りてくる。

 一抹の不安に揺れる胸の内を写したように、見上げた空はゆっくりと青黒く濁り始めていた。

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