2-2.『人間らしく生きてみろ』

 ベイリーの事務所での出来事から一夜明け、アルバートはある場所へ向かった。


 曇り空の下でもよく目立つ、赤い屋根に白い壁。オーソドックスな造りの二階建て。

 庭に広がる小綺麗な芝生の海には、石畳で舗装ほそうされた一本の橋が玄関まで掛かっている。


 花々でいろどられた広い庭をぐるりと眺めていると、端にあるバスケットゴールと、シュートを打っている赤毛の男が見えた。


 スリーポイントを狙える位置から放たれたボールが、弧を描いて宙を舞い――

 惜しくもリングに弾かれて、明後日あさっての方向へ飛んでいった。


 周囲にいくつも転がるボールが、決して少なくない経過時間と、彼の苦闘を物語ものがたる。


哀愁あいしゅうただよう良いだな。おっさんが一人遊びに興じる様ってのは」


 足下に転がっていたボールを拾ったついでに、アルバートは皮肉と一緒に投げ渡す。

 振り返った顔にぶつかる寸前、キャッチした男は顔をしかめた。


「なんだアルバート。お前まだ死んでなかったのか」

「あんたは相変わらず暇そうだな。うらやましいよ、ブレンダン」


 二人は挨拶あいさつ代わりの皮肉を交わしながら笑う。


 ケニー・ブレンダン。

 中世絵画じみた鼻筋の通った顔と短く刈り込んだ赤毛が印象的な、三十代半ばの男。

 根無し草のように飄々ひょうひょうとした性格だが、そのたくましい身体に見合うだけの器量も併せ持つ――大作映画の主人公のような好漢ナイスガイだ。


 彼は商会ギルド『アガリアレプト警察署』の署長であり、ときおりアルバートに仕事を持ち掛ける大口顧客でもある。


「若造だからとナメられたくないのは分かるが……誰彼構わず噛み付くくせは、直した方が良いと思うねぇ」

「知ってるか? 嫌いな人間からの助言アドバイスほど無駄なものは無い。そして、俺はあんたをこれっぽっちも尊敬リスペクトしてない」

「そういうとこだぞ。……まぁ立ち話もなんだ、座れよ」


 ボールを後ろ手に放り投げたブレンダンは、近くにあったベンチの真ん中にどっかりと腰を下ろす。

 続いたアルバートは人ひとりほどの間を空けて隣に座った。


 ブレンダンはポケットから煙草たばことライターを取り出し一服、これみよがしに紫煙を吐き出す。


「……お前も吸うか?」


 嫌悪の表情と共に睨み付けていたはずだが……なにを勘違いしたのか、箱から一本だけ出して差し出してきた。


「あんたの面の皮の厚さには驚かされるな」

「ありがとよ」

「褒めてねぇよ」


 煙たげに払いのけるアルバートに、ブレンダンは目をにんまりと細めて笑む。

 彼も嫌味に気付かないほどバカではない。分かった上で適当にあしらっているのだ。


 肺の奥でうずく喫煙衝動を抑え込んで吐き捨てる。


「誰のせいで俺が煙草を辞めたと思ってる? ……あんたがあの駄犬バカを、うちに持ち込んできたからだろうが」


 鼻が利くワイスは、当然タバコの臭いを嫌う。

 一服するたびにナイフを向けられ殺されかけていては、流石さすがに禁煙せざるを得なかった。


 その元凶であり、アルバートとワイスを引き会わせた人物こそがブレンダンだった。


 ワイスは過去に、対〈悪魔憑きフリークス〉用の戦闘員として『警察署』に

 が、あまりの戦闘中毒バトルジャンキーっぷりを持て余し、二年前にアルバートの事務所へ“配属”されたのだ。


 という形ではあったが……実際はていの良い厄介払いに近い。


「うちは託児所でもなければ保育園でもない。野良犬を殺処分したいなら、保健所に連れてけば良かっただろ」

「なんだ、まーだ怒ってんのか? 人手を増やしたいって相談しに来たのはお前だ。誰を紹介しようが、俺の自由だろうよ」


 悪びれもせずへらへらと笑うブレンダンに舌打ちを返す。

 言いたいことは他にも山ほどあったが、腹の底でもう少し煮詰めておくことにした。


「エーデルワイスがこっちに帰って来ないあたり、仲良くやってるみたいじゃないか。お前らは良い相棒バディになると思ってたんだ……俺の目に狂いは無かったな」

「――だーれが犬だよーぉ」


 気怠げダウナー間延まのびした声とともに、背後からブレンダンの喉元にナイフが添えられる。


「腐ってんじゃないのー? その目玉」


 助手席で寝るのも飽きたらしいワイスが、しなだれかかるように広い肩に顎を乗せ、不機嫌そうに喉を鳴らしていた。


「なんだ、お前も来てたのか。しばらく見ないうちに大っきくなったなぁ……


 感慨深そうなセリフの最後を下卑げびた調子にうわつかせ、鼻の下を伸ばしながら上体を反らすブレンダン。

 ワイスの胸元――年相応より少し豊かなふくらみが、その背に押されて柔らかくつぶれる音がした。


「ねぇエロオヤジ。挨拶あいさつはちゃんと返せって、ママに教わらなかったのー?」


 しかしワイスは意外にも、笑顔のまま耳朶じだに唇を近付ける――その碧眼へきがんは殺意で凍り付いていた。


「あたしがナイフ突き付けてハローって言ってんだから、お前はちゃんとのどから血ぃいて答えないと」

「——ワイス」


 庭の入口からの足音を捉えて、相棒にたしなめるように声をかける。察したワイスも大人しく引き下がった。


 やがて三十過ぎの小柄な女性と、五歳ほどの小さな女の子が、仲良く手を繋いで歩いてくるのが見えた。

 どちらも金髪碧眼、整った目鼻立ち、お揃いのデザインのワンピース。

 おまけに周囲の空気がきらめいて見えるほどの美人だ。


 アルバートとワイスは、隣にいる男とそのを交互に見比べる。


「前から不思議だったんだが、ヘンリエッタさんとどこで知り合ったんだ? どんな運命の気紛きまぐれで、あの美人があんたと家庭を持つことになった?」

「ベアトリスの顔さ、全っ然お前と似てないよねー。ちゃんと遺伝子入ってんの?」

「他人の幸せをひがんでる暇があったら、お前らももう少し人間らしく生きてみろ――おかえり。ヘンリー、ベアトリス」


 ベンチから手を振るブレンダンの姿に気付き、ヘンリエッタが小さく手を振り返す。

 ベアトリスの方は、ワイスの姿を見るなり目を輝かせてぱたぱたと駆け寄ってきた。


「ウルフのお姉ちゃん!!」

「おー、久しぶりー。元気してた?」


 ワイスも珍しく柔らかい笑みを見せて、しゃがみ込んで目線を合わせる。

 まるで姉妹のように仲睦なかむつまじく談笑する二人。

 ベアトリスがワイスへ向ける羨望せんぼうの眼差しに気付き、アルバートは複雑そうに眉を寄せた。


 物心付いたばかりの幼い少女にとって、年上の綺麗な女性というのは無条件に美化され、尊敬と憧憬しょうけいの的になるのだろう。

 ――その中身が、どれほど人から掛け離れた怪物であろうとも。


 残酷なまでの純真さがまぶしく思えて、目を逸らす。

 その視線を迎えたのは、ブレンダンの一転して真面目な顔だった。


「で、わざわざ昔話をするために来たわけじゃないんだろ?」

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