1-10.『余所見してんなよ』

 ワイスの


 ジャケットの袖周そでまわりごと、、と。

 まるでれた果実が落ちるような、そんな呆気あっけなさで。


 つややかな唇が歪むが、それは苦痛ではなくあざけり。

 のぞく桃色の舌、そこに刻まれた〈印章シジル〉が発光。銀白の吐息が口の端から漏れ、美青年の背後で冷気と霜雪そうせつが渦を巻く。


「食っていいよ、シルヴィ」


 一瞬にして形成された巨大な白狼が、上半身を食い千切ろうと飛び掛かる。

 降り注ぐ涼風に金の髪をなびかせながら、美青年は背後を一瞥することもなく静かに指を鳴らした。


 白狼シルヴィの体躯が、

 まるで、かのように。


 両断された白狼は崩壊し、それぞれ霜雪の奔流ほんりゅうとなって空間にわだかまった。


 しかしワイスは笑みを崩さない。

 それどころか、ひゅう、と口笛まで吹いてみせる。


 を受けた霜雪の塊が

 それぞれ二匹の狼となって左右から再び襲い掛かった。


「……おっと」


 流石さすがに驚いたのか、目を丸くした美青年は滑るように前進してのがれる。

 互いを喰らい合うかに見えた双狼は輪郭りんかくけ合わせ、再び巨大な狼となって威嚇いかくうなりを上げた。


 ワイスの〈権能インペリウム〉――〈マルコシアス〉で生成された実体のない白狼シルヴィなら、複数体に分裂することなど造作もない。


 だが、物理攻撃による破壊は不可能なはずだ。

 敵はどうやって両断してみせた?


 浮かんだ疑問を脳裏に留めたまま、アルバートは二人の中間地点に移動した美青年マヌケに向け拳銃を連射。

 十重とえの銃声を合図に、再生した右手に得物を握ったワイスと白狼シルヴィが背後から詰める。


 殺到する弾丸と、ナイフと狼牙による挟撃。

 今度こそ決まると思われた矢先、ブーツのかかとがアスファルトをこする音が届いた。


 何事かと顔をしかめて、ワイスが疾走に急制動ブレーキを掛けたと気付く。 

 身体を掻き抱くように頭と胸元をかばうと、白いジャケットに包まれた両腕にいくつもの穴が空いて鮮血が飛び散った。


 標的の肌にはかすりもせず、風圧で金髪が揺れるのみ。


 頭と左胸に五発ずつ――三発で頭蓋骨と肋骨をそれぞれ破壊、残り二発で脳と心臓を確実に撃ち抜く。

 ワイスの両腕に刻まれた弾痕は、その目論見もくろみ


 美青年に向けて飛んでいたはずの弾丸が、殺到したのだ。

 弾道そのものが左にズレたとしか考えられない現象に、アルバートは目を見開く。


「バートお前ッ、どこ狙って――」


 相棒の怒声が、甲高い空転スキール音に掻き消される。

 すぐ脇の道路を直進していたワゴンが、凄まじい速度で真横へ移動スライド

 見えない巨人の手によって押し退けられた車体は、白狼シルヴィをすり抜けてワイスを掻っさらう。

 あっという間に華奢きゃしゃな身体がビルの壁面へと挟み込まれ、重い激突音とともに大量の血飛沫が飛び散った。


「ワイ、ス……ッ!?」


 ビル壁やアスファルトを汚していく流血はどう見ても致死量。

 頭と心臓を一瞬で潰されれば、〈悪魔憑きフリークス〉といえど即死だ。


 半狂乱で車から飛び出し、震える悲鳴と共に逃げていく運転手。

 それに構う様子もなく、美青年の瞳は横に滑る。視線の先には、信じがたい光景に弾倉交換リロードも忘れ啞然あぜんとするアルバート。


 冷たい蒼玉サファイア睥睨へいげいに気づいたアルバートは、弾切れホールドアップしたままの拳銃を投げ捨てて両手を上げた。


「待った……降参だ」


 浮かぶ憔悴しょうすいの笑みは、まるで攻略の糸口がつかめない敵の〈権能〉への苦悩。


 瞬間移動。

 念動力サイコキネシスのような物体操作。

 速度の加減に、物体の切断までやってのける。


 〈権能〉は。だが奴の能力はあまりにも多彩過ぎる。

 おそらく、起こった事象全てにに干渉しているのだ。


 アルバートはそれを『移動』という概念だと踏んでいた。


 ある地点から別の地点へ、対象を移動させる能力。

 飛んでくる弾丸をとすれば、減速は説明できる。

 速度の加減も出来るのなら、事務所内で見せた高速移動にも辻褄つじつまが合う。

 だが、ワイスの腕や白狼シルヴィを切断してみせた理屈が通らない……


 大筋は合っているはずだが、全貌が見えて来ない。

 足りないパズルのピースはしかし、いくら考えても見つからず。


「相棒があのザマだし、俺ひとりで勝てる見込みもない。……なぁ、最期さいごに名前くらい教えてくれよ」


 美青年は顎に手を添える。整い過ぎた顔の造作によって、仕草のひとつさえ様になるのが腹立たしい。


「では……〈セーレ〉と呼んでください」


 〈セーレ〉――もちろん偽名だろう。

 ただでさえ軽薄な声が、より薄っぺらく上擦うわずったのを聞き逃すアルバートではない。


 その名前には聞き覚えがあった――いつだかゾーイが話していた、七十二柱の悪魔たちの一柱。

 変態がひとりで盛り上がっているとばかり思っていたが、悪魔の名前を借りるのは意外と一般的メジャーなのかもしれない。


「信じられないって顔ですね。では、証拠を」


 思索にしかめた表情を、猜疑心さいぎしんの表れと取ったのだろう。美青年――〈セーレ〉はおもむろにシャツの前を開けていく。


 やがて露わになったのは鍛え抜かれた上半身。

 甘い顔立ちマスクとあまりにミスマッチなそれは、古代彫像の首から上を現代の美男子にえたような気味悪さがあった。

 なにより目を奪われたのは、左胸に刻まれた輝き。

 

錫色すずいろの〈印章シジル〉――〈君主モナーク〉……ッ!?」


 戦慄せんりつと動揺が顔ににじみ出していくのが分かる。


 〈悪魔憑き〉の上位二階級クラス――〈レクス〉と〈君主モナーク〉。

 下位と一線を画す能力を持つという本物の怪物。遭遇例そうぐうれいの少なさから、空想やお伽話とぎばなしのようなものだとばかり思っていたが……実在するとは。

 なるほど〈公爵デュークス〉と〈侯爵マルキオ〉では、掠り傷ひとつ付けられないのも道理だ。


「そういう君は、〈悪魔憑き〉になって日が浅いのかな? ……ようだ」


 お前は〈悪魔憑き〉としてはだもん――今朝のワイスの言葉が頭をよぎる。


 きょかれたように固まった表情筋を無理やりねて、アルバートは不敵な笑みをつくる。


しゃくに障る態度だな。あんた、よく人から恨まれるんじゃないか? ……


 ――ッ!!

 鉄塊がぶつかり合うような歪んだ轟音の後、〈セーレ〉に影が差した。


 乗用車が宙を舞う。

 子供が思い切り蹴飛ばした石ころのように。

 放物線を描いて緩慢かんまんに飛び来るそれを、蒼玉サファイアの双眸は呆然と見上げ――



「――余所見よそみしてんなよー、露出狂」



 その背後で、巨大な白狼があぎとを広げた。

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