1-8.『どんな手品だ?』

 入口からすぐの応接間に、異変は見当たらない。

 清掃の行き届いたモノトーンのタイル床。

 二人掛けの黒いソファに挟まれた簡素な木製机テーブル

 近くに置かれた観葉植物の鉢が申し訳程度の色を添えている。


 そこから地続きになった部屋の最奥――ガラス窓から夕陽のし込む社長席に目を向け、アルバートは思わず息を飲んだ。


 壁がまるでグラフィティアートのように、血飛沫ちしぶき過剰装飾デコレーションされている。

 整理整頓されたデスクにもおびただしい量の血がブチかれ、ふちから涙のようにいくつも赤い雫を垂らす。


 座り心地の良さそうな黒革のオフィスチェアには、が腰掛けていた。

 周囲の至る所に、立方体ブロックが転がっている。


 『古今東西のあらゆる武器を際限なく召喚する』——ベイリー自身が〈サブナック〉と呼ぶ〈権能インペリウム〉は、どうやら発動すら許されなかったらしい。


 そして、この世のものとは思えない光景の前に、ひとりの人間が立っていた。


 すらりとした華奢きゃしゃ長躯ちょうくを、気障きざったらしい純白のタキシードに包んだ青年。

 優雅とさえ思える所作で振り返った彼の金髪ブロンドヘアが揺れてきらめく。あどけなさを残した顔立ちに象嵌ぞうがんされた双眸は蒼玉サファイア


 こちらに気付いた美青年は、この惨状さんじょうに対しあまりにも不釣り合いな、笑顔を浮かべてみせた。


 『白馬の王子様』――アルバートの脳裏に、あまりにも陳腐ちんぷな形容詞が浮かんだ。

 そのたとえがよく似合う、まるで絵本の中から飛び出してきたような存在だった。

 酸鼻さんびな光景の前では、場違いにもほどがある。


 不自然なまでに返り血を浴びていないその姿を見て、こいつの仕業しわざだと確信する。

 そして彼のについても、予想はついた。


 ――こんな悪夢のような所業をせるのは、〈悪魔憑きフリークス〉の他にいない。


「動くな。両手を上げて頭の後ろで組め」


 彼がなにか言う前に銃を向け、有無を言わさぬ威圧を飛ばす。


 ――ハ、と鼻を鳴らす冷笑。

 この場にいない相棒ワイス幻聴こえに、アルバートは苦虫をつぶしたような顔で毒づいた。


 ——分かってるよ。

 〈悪魔憑き〉相手に銃を向けたところで、ことなど。


 しかし美青年は、意外にも素直に従った。余裕の微笑を浮かべたまま、ゆっくりと両手を上げて――が響く。



「もしかして、『警察署』の方ですか?」

 声が、アルバートの



「――ッ!?」


 振り返る――よりも先に、無意識のうちに飛び退いていた。

 先ほどまでいた場所には、美青年が笑みを浮かべて立っている。

 アルバートが部屋の奥、美青年が出口の近く。

 ちょうど立ち位置が入れ替わり、袋小路ふくろこうじへ追い詰められた形になる。


 ――いつの間に背後を取られた? 

 一瞬たりとも彼から目を離していない。どころかまばたきさえもしていなかった。

 冷や汗が頬を伝う中、アルバートは乾き切った上唇を少しめた。


「驚いたな……どんな手品マジックだ?」


 会話を仕掛けて様子を見る。

 姑息こそくな手段だが、思考をつむひまは作れる。さいわい、殺意は感じ取れない。話が通じない異常者でもない。

 だが、奴がその気になればきっとされる――それだけは確信できた。


「そんな子供こどもだましじゃないですよ。そうだな……超能力とでもいったところでしょうか」


 狙い通り、美青年は朗々と返事をしてきた。

 当然のように聞き流して敵と周囲に視線を飛ばしているうち、その足下にが転がっていることに気付く。

 アルバートが立っていたときにはだ。


 あれはなんだ? ……いや、今は捨て置け。

 まず、奴の〈権能〉を瞬間移動と仮定しよう――だが選択肢をせばめるな。


 〈悪魔憑き〉を固定観念や先入観でしばるのは危険だ。時に物理法則さえ容易たやすじ曲げる異能を持つ人外が、常識の範疇はんちゅうに収まるわけがない。


 未知の能力。浮かび続けるいくつもの疑問符と可能性。

 渦を巻く混乱に思考が飲み込まれる前に、ある結論を出す。


 ――撤退てったいだ。

 もし戦闘に発展すれば、逃げ場の無いこの状況は非常にマズい。

 唯一の選択肢――背後のガラス窓に目をやろうとして、


「――もう一度お見せしましょうか?」


 美青年が指を鳴らすと、視界の端になにかがかすめた。

 咄嗟とっさかがむと、左の壁になにかがぶつかる重い音。

 その方向へ目をやると、床には数冊の本――束ねて角で殴れば、子供くらいは難なく殺せる――と書類棚の一部らしき木片が落ちていた。


 視線を反対側へ滑らせる。さっきまでアルバートの頭があった位置とほぼ同じ書類棚の段から、本が数冊分消えている。


「ああ、


 白々しく笑う美青年に、アルバートは皮肉げシニカルな笑みを浮かべる。


「観客に危害を加えるなんて、奇術師マジシャン失格だな」

「構いませんよ。


 あまりに軽薄な殺害予告。

 啞然あぜんとしている間に、美青年は両腕を水平に広げた。次いで左右の指を鳴らすと、部屋中の物体――本棚の分厚い本、ボールペン、ハサミ、カッターナイフ、観葉植物の鉢――が次々と


 ――瞬間移動じゃない。

 奴の〈権能〉は、念動力サイコキネシスのような物体操作か?

 しかしそれでは、背後に回り込まれたことへの説明が付かない。


 混乱する思考をどうにか巡らすアルバートの足に、唐突な衝撃。


「ぅぐッ……!?」


 そばにあった事務机デスクが突然、横に移動スライドしてきたのだ。

 備え付けの棚に書類や備品が詰まっているのか、相当な重量のそれはもはや鉄塊に等しい。

 肉を潰し大腿骨だいたいこつにヒビを入れるだけに留まらず、そのままアルバートの長駆を挟む形で壁に激突した。


 ある一点に意識を集中させ、死角から攻撃を仕掛ける――不意打ちの常套手段じょうとうしゅだんだ。

 そんなものに易々やすやすと引っかかった自分の間抜けさをのろいつつ、机を忌々いまいましげににらみ付けて――


 机の上に乗っていた物の位置が、さっきまでとことに気付いた。


 あれほどの速度で動いたのだから、慣性かんせいによって多少なり動くはず。

 しかしパソコンのモニタや書類ラックは倒れておらず、横置きにされた万年筆さえ

 強烈な違和感を覚えるも、それを解決する暇は与えられず――


 部屋のすみから飛んで来た観葉植物の鉢によって、アルバートの

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