1-3.『大音量で楽しんでこそのロックじゃん』

 朝の珈琲コーヒーとカフェイン錠でみ渡った思考。

 渋滞じゅうたいに巻き込まれることもなく、カーオーディオからかなでられるジャズの軽快なリズムとともに、車窓しゃそうからの景色が流れていく。


 珍しく、なにもかも順調に推移している。鼻歌のひとつでも歌ってやりたいくらいに愉快な気分……


 目の前の信号が赤に切り替わったのを見て、ブレーキペダルを踏み込み停車。

 アルバートは助手席にいるワイス――正確には彼女が耳にあてがっているゴツいヘッドホン――をにらみ付けた。


「ワイス……おい、ワイス」

「…………んー」


 座席のリクライニングを限界まで倒して寝転んでいたワイスは、伏せていた睫毛まつげ苛立いらだたしげに震わせ始める。


 やがて小さくうめいて起き上がると、鬱陶うっとうしそうに眉をひそめながらヘッドホンを外し、運転席の方へ身を乗り出してきた。


「……なに?」


 白い肌に細い鼻梁びりょう

 長い睫毛まつげ縁取ふちどられた碧眼。

 目許めもとは眠たげに垂れたままだが、北欧系特有の整った美貌を曇らせるまでには至らない。

 人を寄せ付けない冷たい雰囲気とあいまって、さながら雪原に立つ狼のようだ……


 化粧メイク後のワイスを見た世の男たちは、鼻の下を伸ばしながらそんなことをのたまうのだろう。


 しかしアルバートは躊躇ためらいなく嘆息を吐きかけた。

 どうやら本当に分かっていないようだ……


 辟易へきえきしながら指し示す先――外して首に掛けられたヘッドホンからは、ロックミュージックが雑音となって漏れ出ていた。


「なんのつもりでその雑音ノイズき散らしてんだ?」

「は? これ『ストランディス』の新譜だよ。こないだ新メンバーが加入して、もっと攻撃的アグレッシブに研ぎ澄まされたこのサウンドが――」


 文句と蘊蓄うんちくを垂れるワイスを黙殺し、アルバートは頭痛をこらえるように眉を顰めた。


 『ストランディス』――正式名称は『ストランディド・アトランティス』だったか。確か、ワイスお気に入りのロックバンドのひとつだ。

 『座礁した海洋帝国Stranded Atrantis』なんてバンド名の通り、全体的に歪んだ音ディストーションの効いたサウンドが特長で……

 いや、それはこの際どうでも良くて。


「――で、このギターリフが間奏でドラムと合わさるともう最高でさぁ」

「違う。なんで音漏れするほどの音量ボリュームで聴いてんだって話だよ。……その歳で耳だけはもう立派なババアか?」

「分かってないなぁ、大音量で楽しんでこそのロックじゃん。これが耳障みみざわりなら、お前はライブ行けないねー」

「行かねぇよ。何回も言ってるだろ、ロックは俺の一番嫌いなジャンルだって」


 吐き捨てるアルバートを、ワイスは鼻で笑う。


「ハ、お高く止まってるおぼっちゃまには分からないか」

「分かりたくもないね。粗暴そぼうで滅茶苦茶なサウンドに、叫んでわめき散らすだけのボーカル。おまけに聴いてる奴らは取り憑かれたように頭を振ってると来た……ライブなんて見てみろ、あれは新手のドラッグパーティーだ」

「お前の好きなジャズは、あたしからすれば退屈過ぎる。耳から飲む睡眠薬だよあれ。イントロだけでもう寝れる。超ぐっすりー」

「じゃあ、子守歌代わりに俺のオススメを流しといてやるよ。そのまま死ぬまで寝てろ」

「ライブのDVDそろそろ届くんだけど、一緒に見る? どれくらいストレスを与えるとお前が死ぬのかー、観察してみたい」


 勝手にしろ、と吐き捨てたところで信号が切り替わった。

 アクセルペダルを蹴り付けて発進させると、ワイスもヘッドホンで耳をふさいで暴力的な音の世界へ耽溺たんできしていく。

 会話が途切れ、車内に沈黙のとばりが下りる中。アルバートは車窓を流れていく景色に目を向ける。


 『フルーレティ・ストリート』。

 人工島インキュナブラに入った人間をまず出迎える巨大アーケード街と、そこを中心として広がる区画エリア

 そして島を六分する商会ギルドのひとつだ。


 高度先進医療による、老いと死の存在しない近未来の楽園エデン

 そんな胡散臭うさんくさ謳い文句キャッチコピーは、病人だけでなく欲深い富裕層まで引き寄せた。

 かつてこの島が隆盛を極めていた頃は、観光目的に訪れた人々で賑わう歓楽街だったという。


 アルバートたちが事務所を構えるこの区画では、先進国の都市とほぼ変わりない人並みの生活を送ることが出来る。

 治安もおだやかな方だ。……定期的に響く銃声や罵声ばせい、乱闘の喧騒けんそうに目をつむれば。


 無法地帯、失楽園、ゴミ溜め、火薬庫、ギャングスタ・パラダイス——

 “本土”の人間からは好き勝手に呼ばれている人工島インキュナブラだが……なにも路地の一角、暮らす人ひとりに至るまで全てが腐り切っているわけではない。


 人が集まり共同体コミュニティが組織されれば、そこには必ず個人、あるいは集団を統制するための規則ルールが生まれる。それは無法の犯罪都市であろうと変わらない。


 『インキュナブラ』は、六つの商会によって管轄された地区と、無数の緩衝地帯グレーゾーンで分けられている。

 商会間の勢力の拮抗きっこうと、それによる休戦協定——混沌カオスの中になけなしの秩序コスモスを織り交ぜて、吹けば飛ぶような束の間の平穏は保たれているのだ。


 ……などと考え事しているうちに、窓外そうがいはビル街の様相をていしていた。


 六大商会の一角である『アガリアレプト警察署』が仕切るこの市街地は、島内では珍しくを誇る。

 その実情は、面倒事トラブルが起こると加害者も被害者も、恐怖政治にも似た治安維持が行われているからなのだが。


 やがて大通りに面した雑居ビル――目的地のひとつにたどり着く。

 歩道になかば乗り上げるようにして停め、アルバートは片手にアタッシュケースを、ワイスは段ボール箱を両手に抱えて車から降りた。


 すすけた壁にめられた黄ばんだ窓には、派遣型風俗と闇金融と異国の占い師がそれぞれの階に色褪いろあせた広告を張り出している。遠目には腐ったサンドイッチの断面のようだ。


 しかし二人は、溜まったものを発散しに来たわけでも、金をせびりに来たわけでも、ましてや急に将来への不安に駆られたわけでもない。


 そんなものには目もくれず、入口脇から伸びる地下階段を降りていく。

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