1-2.『こんな独房みたいな部屋でさ』

 アルバートの脳裏に蘇るのは、数日前に路地裏で見た血溜まり――〈悪魔憑きフリークス〉になり損なった中年男の最期さいご


 運送屋の仕事をする中で、荒事は付き物だ。〈悪魔憑き〉と闘うことも少なくない。


 ……いや、多い。

 むしろ不必要な荒事が無駄に多い。

 月に二つの仕事をければ、どちらか片方は必ず血みどろの戦闘に発展する。


 主に、目の前にいる戦闘中毒バトルジャンキー駄犬バカのせいで。


「……なに?」


 ワイスの怪訝けげんなジト目で思考が脱線していることに気付き、軌道修正。


 ――そう、運送屋の仕事の中で、何度か〈悪魔憑き〉との死闘も潜り抜けている。

 当然、彼らのの姿も否応なく目にする。そのたびに、ひとつの考えが頭をよぎるのだ。


 人を超えた怪物となった俺たちが死んだとき、果たして誰が悲しんでくれるのだろうか。誰がいたんでくれるのだろうか。

 そもそも死んだことさえ知られないまま、ただ消えていくだけなのではないか?


 胃の底に重く冷たいものが広がる感覚。

 眉根が勝手に歪む中、いぶかしむ声が耳に入ってきた。


「……あたし、野菜もちゃんと食べてるよ?」


 いきなりなにを言い出すかと思えば……

 どうやらワイスには、さっきサラダを食べなかったことを根に持っているように見えたらしい。


 そうじゃねぇよ――思わず出そうになった言葉を、唇を閉じて押し止めた。

 下手に否定すれば迷いに勘付かれ、『だからお前は弱いの』などと嫌味を言われるのがオチだ。

 全く乗り気ではないが、とりあえず話に乗ってやることにした。


「……ほんとか?」


 今度はアルバートの目が怪訝けげんに細められる。

 かれこれ二年ほど朝食を共にしているが……いま思い返してもそんな光景を見た覚えはない。


 と、ターコイズブルーのマニキュアが塗られた細指が、橙色オレンジの液体が入ったコップに伸びていく。


「ほら、野菜ジュース飲んでるしー」

「…………」

「それに、あたしがよく食ってるハンバーガーはで調理してんの」

「…………」

「もっと言えば、パティに使われてる牛や豚は野菜を食って育ってるじゃん?」

「…………」

「つまり元をたどれば、だいたい野菜。あたしは肉を通して野菜を摂ってるってわけ」

「…………屁理屈へりくつだろ」

「あたしにとっては立派な理屈。……で、バートはまた遅くまで仕事してたの? こんな独房みたいな部屋でさ」


 また急に方向転換した話題に、部屋をぐるりと見回す。

 シミひとつ無い白い壁。磨き上げられた大理石の床。

 そこに並ぶのは、不要な装飾を削ぎ落としたミニマルデザインの黒い家具――


 アルバートの仕事場でもある一階部分を、ワイスはよく独房と揶揄やゆして嫌う。


 生活感を一切感じさせない、殺風景という言葉を絵に描いたようなインテリアが気に入らないのか。

 それとも、自身のを想起させるからなのか――


「クソ真面目だよねーお前。マジ尊敬する、やりたくもないことをずっと続けるその根性。あたしなら一秒でやめるなー」


 ワイスの視線を追った先にあるのは、自分の仕事机デスク。積み重なった書類の山に、デスクトップパソコンの横に墓標のように連なる珈琲コーヒーやらエナジードリンクの缶。

 それを見てこぼす言葉に込められているのは、無駄な努力を続ける者をあざける冷笑だ。


「ま、それが仕事だからな」

「極東の島国には、『シャチク』って動物がいるんだってー。自分のやりたいこと我慢して、『シゴトだから』って赤の他人から言われるまま働く……お前みたいな奴隷どれいが」

「誰もがお前みたいに、好き勝手に生きられるわけじゃない。いつまでも子供じゃいられないんだよ」

「お前は重傷だよねー。自分で勝手に規則ルール期限リミット決めて首締めてる。ビョーキだよビョーキ。くっだらない習慣ルーティンすがってさー……


 お前、まだわけ?」


 一呼吸置いてつむがれた言葉と冷ややかな視線が、見えない氷の刃となって心臓を貫いた。


 起きてまず水を一杯。

 簡単なストレッチを終えてからシャワーを浴びて服を着替える。

 キッチンで簡単な朝食をこしらえた後、ワイスを起こしに行き、二人揃って形式的な朝食を摂る。


 どうしようもなくじ曲がってしまっても、まだ正気でありたいと願う――

 染み付いた生活習慣ルーティンワークは、そんな気持ちの現れなのかもしれない。


「……そうだよ、俺はお前らとは違う。まだ人間だ」

「かもね。……お前は〈悪魔憑き〉としてはだもん」

「バケモノに成り下がるよりマシだろ」

「あっそ。……で、今日はどーすんの?」


 なじののしるのも飽きたのか、再び話題を方向転換させるワイス。

 嫌気が差していたアルバートも、今日の予定を話してやることにした。

 朝食を共にする最大の目的は、この作戦会議ブリーフィングにある……もっとも、食事時くらいでないと真面目な話をする機会が無いからなのだが。


「ゾーイのところに行く。食糧やら生活用品の配達デリだよ」

「んじゃ、あたしは休みオフでいいよねー」

「……お前、そんなにいそがしいのか?」

「あったりまえじゃーん。いまハマってる格ゲーに新しく追加されたキャラがいてさー、性能の把握とコンボ開発と対策しなきゃ」


 ワイスがなにを言っているのか、アルバートには途中から理解出来なかった。


「ヴァルターのところにも寄るぞ。お前もくらいはしときたいだろ?」

「……しょーがないなー」


 ワイスはトーストの一欠片ひとかけらを野菜ジュースで流し込んで立ち上がる。

 結局、サラダには手を付けていなかった。 

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