Ch.1:Livin' in a gangster's paradise

1-1.『朝だ、飯だ、食え』

 『インキュナブラ』——

 海上に建てられた、世界最大の都市に匹敵する面積をほこる人工島。

 そして名だたる大企業が連盟し開発した、先進医療システムを運用するための実験都市。


 かつて『近未来の楽園エデン』と呼ばれていたこの地は、今では死と犯罪が蔓延はびこ現代の失楽園ロスト・パラダイスへと変貌へんぼうした。

 ある事件をきっかけにギャングたちが流入し、血で血を洗う縄張なわばり争いと大規模抗争が起こったのだ。

 唯一の出入り口である陸橋りっきょうを破壊され、世界から隔離かくりされてなお、日向ひなたを歩けなくなったが海や空などのから入ってくる。


 ゴミやカスやクズを世界中からかき集めた、無法者アウトローどものめは、いつも灰色の分厚ぶあつい雲がふたをする。

 世界最大規模のには、流石の太陽も顔を出したくないのだろう。



◆◇◆◇◆◇



ようこそ、老いと死の存在しない楽園へWelcome to Never-ending Eden


 高層ビルの色褪いろあせた広告看板では、清潔な身なりの女性が白い歯を見せつけて微笑ほほえんでいた。

 かつては希望や幸福を想起させていたであろうその笑顔も、今となっては痛烈な皮肉でしかない――


 そんなことをぼんやり考えながら、アルバートは事務所の裏口からつながる非常階段をのぼっていた。

 辿たどり着いたのは、居候いそうろうのために増築した二階部分。簡素なドアを開けると、真新しいフローリング床と白い壁紙が出迎える。

 短い廊下の奥に押し込まれたゴミ袋たちは無視して、すぐ左のドアをノック。


 ……反応が無い。寝ているのだろうか。


「入るぞ」


 一応の礼儀として声を掛けてドアノブを回す。開けて一歩踏み込んだ瞬間、


「――っしゃぁ!!」


 嬉しそうな叫びと暴力的な轟音爆音が、洪水となってアルバートの身体を押し出した。


「…………」


 一旦ドアを閉め、目を閉じて深呼吸。

 空いている手で片耳をふさぎながら、もう一度ドアノブを回して部屋に踏み入った。再び襲いかかって来る大音量のロックミュージックに思わず顔が歪む。


 様々なロックバンドのポスターで埋め尽くされた防音性の壁。

 強盗にでも押し入られたかと思うほど物が散乱した床やベッド。

 テーブルには、ピザの空き箱や開けっ放しの袋菓子、飲みかけの炭酸飲料がところせましと並べられている――さながら片付かない子供部屋の究極形態だ。


 アルバートからすれば地獄のような光景の中心。ダボダボのパーカーを羽織ったワイスが二人掛けのソファに胡座あぐらをかき、拳を突き上げてときの声を上げていた。


「あたしの勝ちー。うぃー、雑魚ざこ雑魚ざーこ〜♪」


 白皙はくせき美貌びぼうに青白い光を投射する巨大な壁掛けモニターには、徹夜で興じていたであろうテレビゲームの映像。

 いかめしい『YOU WIN』の文字とともに、しなやかな身体付きの女性キャラクターが敵の生首をかかげていた。

 高精細な3DCGが、苦悶くもんに満ちた末期まつごを嫌味なほど克明こくめいに描き出す。


 普段から見飽みあきているはずの残虐ゴア表現を、何故わざわざ追加摂取するのか……アルバートにはまるで理解できない。


 嘆息たんそくしながら窓際にあるコンポに近付き、殴り付ける勢いで停止ボタンを押す。本当はぶっ壊してやりたいが……後が面倒なので衝動は腹の底にしまっておいた。


 破壊的なラウドロックが急に沈黙。

 リズムに合わせて鼻歌交じりに身体を揺らしていたワイスもぴたりと動きを止め、


 ――壊れた!?


 みたいな顔をして、首が千切れそうな勢いで振り向いた。

 アルバートは締め切られていたカーテンを破れんばかりの勢いで開け、日の光を浴びせてやる。


「ゔぇー」

「朝だ。飯だ。食え」

 

 義務教育をまともに受けられなかったバカでも分かるような言葉を選びながら、立てた親指でドアを示す。

 部屋にし込む朝陽あさひに目を細めていたワイスは伸びをひとつ、大儀たいぎそうに腰を上げた。



◆◇◆◇◆◇



「ピザが良かったー」

「昨日も食ってたろ」


 バターを半端に塗ったトーストにかじりつきながら、ワイスは不満を隠そうともせず向かいの席のアルバートをにらみ続けている。


『朝八時までに起き、朝食だけは必ず一緒に食べる』

『仕事以外の時間は、なにをしていようが構わない』

 共同生活ルームシェアをするにあたって、前者がアルバートの、後者がワイスの提示した条件だ。

 話し合いの上で取り決めたはずだが、何が不満なのか。


『次のニュースです。リーガン製薬の代表取締役、フェルディナンド・リーガン氏が、数日前から行方不明となっており――」


 テレビから流れる“本土”のニュース――人工島インキュナブラに関しては過剰かじょうなまでの報道管制が敷かれているが、あちらの情報は筒抜つつぬけだ――をBGMに、淡々と進んでいく食事。

 その中で交わされる会話は、


「どこぞの大企業のお偉方えらがたが、行方不明だとよ」

「ふーん」


 アルバートが振る世間話と、ワイスの生返事くらいのものだった。

 誘拐、殺人、行方不明――この島では、朝になるとにわとりが鳴くのと同じくらいな話だ。彼女が興味を示さないのも無理はない。


 そもそも別に家族ではないし、父親代わりになったつもりも無い。

 和気藹々アットホームな空気も求めていない……が、こうも無味乾燥なのは流石さすがに退屈だ。


 話の種を探そうと、仏頂面ぶっちょうづらで食事を進めるワイスをなんとなく眺める。


 ――安いスライスハムを手でまんで口に放り込むばかりで、付け合わせのサラダに全く手を付けていなかった。


「ほら、野菜も食え」

「やだ。……父親面すんなよ」


 皿を近付けてやると、幼児のように口をとがらせてそっぽを向いてしまう。おまけに言葉のナイフが飛んでくる始末だ。

 ……が飛んで来ないあたり、今日は機嫌が良いのだろう。


従業員おまえの健康に気を配るのも、雇用主おれの大事な務めだからな」


 露骨に不機嫌な態度を取ってやりたいのを必死にこらえ、胸を張って寛大かんだいな大人の余裕を見せてやる。

 それでもワイスは胡乱うろんな眼を向けたまま。自然と肩が落ち、一秒前に堪えたはずの溜め息が口から勝手に漏れた。


「俺は嫌だよ? もしお前の葬式で神父様に『彼女は野菜嫌いによる栄養失調で死んだマヌケでした』なんて言われたら。……泣くどころか、腹抱えて笑っちまう」

「ハ、〈悪魔憑きフリークス〉が死んだら、葬式なんてやる暇ないって」


 鼻で笑うワイスの言葉に、珈琲コーヒーを飲もうとマグカップに伸ばしていた手が強張こわばった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る