0-4.『俺に人間辞めろってか?』

 寒々しい廃工場の中で、二人とが対峙する。


「あは、うふ、うばはああははは」


 アルバートとワイスが睨み据える先、〈悪魔憑きフリークス〉に正気をうしなった中年男は、口から不気味な哄笑こうしょうを垂れ流していた。


 視線の定まらない眼球はぎょろぎょろと動き続け、両手は重篤じゅうとくなアルコール中毒者のようにぶるぶるとうごめいている。


 肉の内側でかのような、およそ普通の人間にはありえない挙動。


 頬に冷や汗が流れ落ちるのが分かる。

 目の前にいるのは、人の皮をかぶった異形。正気を失い、破壊衝動のままに暴れまわる怪物だ。

 奴に理性など存在しない。思考することもない。


 ――故に、がまるで読めない。


「あたしと遊ぼーよ、おっさんッ!!」


 しかしアルバートの逡巡しゅんじゅんなど意に介さず、満面の笑みを浮かべたワイスが動いていた。

 姿勢を低めて駆けるその様は、さながら獲物へ一直線に飛び掛かる狼。

 反応した中年男が握り締めていた拳銃を向ける。

 響く発砲音、飛び散る血――


 が、銃把グリップを握る毛むくじゃらの指ごと拳銃を吹き飛ばしていた。


「おい駄犬バカ!! 考えなしに突っ込むなっていつも言ってるだろ!!」

「考えるのはお前の仕事」


 アルバートの怒号に、刺々とげとげしい口調で返すワイス。

 拳銃が床に転がった頃には、その身体は接近戦インファイトの間合いへと入り込んでいた。


 銀光となったナイフが空間を駆け上がり、男の喉笛のどぶえに吸い込まれていく——目にも止まらぬ早業はやわざ

 常人ならば、既に首をされていただろう。


 しかし、中年男は既に半歩下がって回避していた。あの速度に反応したのだ。アルバートの耳に舌打ちが届いた。


「――ヤニくっせぇんだよ、お前ッ!!」


 ワイスの放ったハイキックが中年男のこめかみを打ち抜く――

 だけに留まらず、そのまま首を

 枯れ木がくだけるような音を置き去りに、肥満体は螺旋らせんしながら吹き飛んだ。


 〈悪魔憑き〉の身体機能は常人から大きく逸脱いつだつし、プロのアスリートすらはるかに超える。十八歳の少女の筋肉でさえ、大人ひとりを容易たやすく蹴り殺すほどの膂力パワーを生み出す。


 普通の人間なら、もう充分過ぎるほどに死んでいる。


「うぶっ、ぶふぶ、ばははあば」


 ――そう、

 ねじれてつぶれた喉からにごった笑い声を上げながら、中年男は奇怪な動作ですぐさま起き上がった。


 そして自分の頭を掴むと、致命的に曲がった首を、、と元に戻したのだ。


 ――加えて〈悪魔憑き〉の肉体は、浅い傷なら数秒でふさがるほどの驚異的な自然治癒力もあわせ持つ。


 当然、首が折れた程度では死なない。先ほどアルバートが吹っ飛ばした指も、いつの間にか元通りだ。

 その様を見たワイスは、水に濡れた仔犬こいぬのようにぶるぶると身体を震わせる。


「うーわ、きもちわるー。……バートもあの根性ガッツを見習ったら?」


 隣に並んだアルバートは、小馬鹿にするように横目で見てくる相棒に辟易へきえきした。


「冗談だろ。俺に人間辞めろってか?」

「いやもう辞めてるっしょ。いまさら、無くなったところで問題ないって」

「大問題だろうが。超えちゃいけない最後の一線だぞ」


 常人ならば致命傷。

 それを負ってなお健在な様を見る度、自分も同じ〈悪魔憑きそんざい〉であることに反吐へどが出そうになる。


 ――だが俺は違う。

 まだ残っている半端な理性が、俺とあの怪物を分かつ唯一の境界線ボーダーライン


 この身体が怪物となろうと、

 この精神が狂気に飲まれようと、

 最後に残った人としての矜持プライドまで捨てるわけにいかない。

 握れば千切れるわらであっても――俺はまだそれにすがっていたい。


「あたしもバートも、あのおっさんも、〈遺体〉を食ってる時点でみんな同類なかまだよー。――そんなこと言ってっから弱いの、お前は」


 内心の独白をか、それともただの反論か。

 きょかれて苦い顔をするアルバートをよそに、薄く笑みを刻んだワイスは白銀の髪をなびかせ駆けていく。


 立ち尽くす中年男。その右人差し指の先に魔方陣じみた紋様——〈印章シジル〉が描き出され、銅色に発光する。


 瞬間、視界の端から一条の光線が飛んで来るのが見えた。


 はえが飛び回るような軌道を描く青白い光線は、やがて中年男の右手に収まった。光は縦に伸びていき、ある形状をかたどり始める。

 数秒後に中年男の手に握られるであろう物体――その正体に思い至った瞬間、アルバートは声を上げていた。


「ワイス、が――」


 遮ったのは

 間一髪で回避したワイスの背後、コンクリ壁にが空く。

 中年男の手に握られていたもの――水平二連式ダブルバレル散弾銃ショットガンを見て、ワイスは舌打ちした。


「あいつ、どこに隠し持ってたんだよッ」

「奴の〈権能インペリウム〉だ!」


 ――〈印章〉が浮かんだ後、奴の手に向けて飛んで来た光線が凶悪な銃器へと姿を変えた。


 中年男が銃を手にするまでに起こった事象は、あまりにも現実離れしていた。

 科学技術が高度に発展した現代であっても説明し難い、近未来のSFじみた超能力。


 〈悪魔憑き〉の真髄は、この常軌を逸した異能の力――〈権能インペリウム〉にある。


 中年男の首がぐるりと巡り、濁った瞳がアルバートを見据える。

 悪寒が背を走った直後、散弾銃ショットガンの銃口がアルバートへ向いた。


 引き金トリガーを引くより一瞬早く、二の腕にワイスの投げたナイフが突き立った。深々と突き刺さってなお失われない推進力が銃口を逸らす。

 的外れな銃撃は床を蜂の巣にし、アルバートの撃ち込んだ弾丸は中年男の両膝に穴を穿うがった。


「るぁッ!!」


 姿勢を崩し膝を突いた中年男のブタ顔を、一瞬にして近づいたワイスのミドルキックが叩き潰す。

 一回転して吹き飛ぶ肥満体。追いすがるように、再び現れた青白い光が空間を走っていく。


 それを見た瞬間、アルバートの指は反射的に引き金トリガーを引いていた。


 連鎖する銃声、

 宙を舞う空薬莢からやっきょう

 噴き出し続ける銃口炎マズルフラッシュ――

 弾倉マガジンが空になるまで、ありったけの銃弾を撃ち込み続ける。

 

 それらは全て――

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