0-3.『賭けようよ』

「あんたは荷物に許可なく触ろうとした上、銃を向けて命までおびやかした……こりゃもう立派な営業妨害だよな?」

「おまけにマジで撃っちゃったよねー。あたし冗談ジョークのつもりだったのに」

「全くだよ。俺も〈悪魔憑きフリークス〉だったから良いようなものを……いや良くない。つーかお前な、いくら冗談でも——」

「バート、マズい」


 ワイスの声が珍しく緊張感を帯びる。

 文句を遮られたアルバートも、“それ”に気付いて目をいた。

 逼迫ひっぱくした様子の中年男。その手には、既に——


 〈大悪魔の遺体ゴエティア〉が、握られていたのだ。


「き、聞いたことがある……こいつを体内に取り込めば、とんでもねぇが手に入るってな……ヒッ、ブフヒヒヒッ!!」


 不気味で醜悪しゅうあくな人差し指を、まるで神に祈るように両手で握り締めてブツブツと呟く中年男。そのおびえた震え声は、段々と狂気じみた笑いの音色を帯びていく。


「「おい、悪いことは言わないから止め――」」

「俺に指図するんじゃねぇ!!」


 アルバートとワイスが揃って制止を呼び掛けるが、中年男は口角泡を飛ばしてさらに激昂げきこうする。


「クソ、この俺をコケにしやがってッ。〈悪魔憑きフリークス〉の力で、お前らをブチのめしてやる……ッ!!」


 狂った哄笑こうしょうを上げながら〈遺体〉を口に含むと、獲物を骨まで噛み砕く獣のように乱暴に咀嚼そしゃくし、ごぎゅり、と嚥下えんげする。


 一瞬の静寂の後、は始まった。


 ——

 ——

 ——


 耳を塞ぎたくなる異音が、全身から連鎖的に響く。

 そのたびに、中年男は聞いたこともないような苦悶くもんの声を上げてコンクリ床をのたうち回った。


 まるで悪魔あくまばらいの一幕。正視に耐えない光景に後ずさったアルバートは、思わず目を逸らしていた。


 ――中年男の言っていたことは本当だ。


 〈大悪魔の遺体ゴエティア〉と呼ばれる肉塊を体内に取り込めば、限界以上の身体機能と人智を超えた異能の力を持つ、〈悪魔憑きフリークス〉となれる。


 ——しかしそれは、誰も彼もが簡単に手にできるものではない。


 大半はいちじるしい肉体の変化に耐え切れず、ショックで死に至るのがオチだ。

 肉体が無事に適応したとしても、激痛で正気を失い廃人となることも多い。

 理性を保ったまま、真っ当な〈悪魔憑きフリークス〉になれる人間は限られている。


 ――悪魔との契約が、のだ。


「あーぁ、止めとけって言ったのにー」


 同じく距離を取ったワイスが、変貌の様子を無感動に眺めながらそう零す。

 呆れた口調と裏腹に、その口許くちもとは薄く笑みを刻んでいた。


「ねぇバート、賭けようよ」

「この状況でなに言ってんだ」

「いーじゃん。変貌アレが終わるまでひまだし」


 お気楽すぎる相棒の一言にうんざりと返すと、ワイスは構ってほしい子供のように口を尖らせる。

 しかし目の前の光景から少しでも気を逸らしたかったアルバートは、彼女の提案に乗ることにした。


「……なにを賭けるってんだよ」

「あのおっさんが〈悪魔憑きフリークス〉になれるかどうかに、今日の夕飯ディナー

「俺はあのまま死ぬ方に賭けるぞ、面倒事はもうこりごりだ。……俺が勝ったら、お前は新鮮な採れたて野菜のサラダをフルコースな」

「じゃ、あたしはおっさんが無事にする方に賭けるー。勝ったらデリバリーピザ頼むから。……あ、バートの分は無しねー」

「好きにしろ」


 そんな話をしている間に、中年男の周りは静まり返っていた。

 血の海の中で仰向あおむけに倒れた肥満体は、死んだように動かない。

 それでも、アルバートの耳には届いていた。

 規則正しく刻まれ続ける――が。


 アルバートは重い溜め息と共に頭を掻く。それを見たワイスは表情を明るくし、小さくガッツポーズ。


「いぇーい、あたしの勝ちー。こないだ出た新メニュー、ちょうど食べたかったんだよねー♪」


 隣で嬉しそうにあおってくるワイスを黙殺し、アルバートは中年男を注意深く見据える。

 やがてその太い指がぴくりと動くと、ヘタクソな操り人形マリオネットのような奇怪な動作モーションで、ゆっくりと起き上がった。


「――


 その目に理性の光は無い。

 汚泥おでいを煮詰めたようなにごりだけが、中年男の双眸そうぼうを満たしていた。


「あはふ、うはははっ」


 譫言うわごとじみた空虚な笑い声。無邪気な子供のようなそれは、中年男の容貌にまるで似つかわしくない。

 あまりの不気味さにアルバートは自分の顔が青ざめ、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出すのを感じた。


 パターンで、パターンだ。

 どうやら〈悪魔憑きフリークス〉になった代償として――を奪われたらしい。


「ねぇバート……あれでもまだなの?」

「いや、ありゃもう立派な〈悪魔憑きバケモノ〉だよ」


 小首を傾げて問うてくるワイスに、アルバートは目を伏せる。


 姿形は同じでも、目の前にいるのはもう中年男にんげんではない。

 人の皮を被った超常の存在。悪魔に魂を売った異形。

 理性も正気も失い、衝動のままに暴れる怪物に過ぎない。


 アルバートは心底から面倒臭そうに溜め息を吐き、苛立ちのまま頭を掻いた。


「全く、こっちの仕事にケチ付ける、銃を突き付けておどす、挙げ句の果てには〈悪魔憑きフリークス〉に暴走する……とんでもないモンスタークレーマーだよ」


 アルバートは襟締ネクタイを緩めながら、ジャケットの内側に装備したガンホルダーから自動式拳銃を引き抜く。


「あはは。クレーマー相手ならさー、もう扱う必要ないよねー」


 ワイスはった筋肉をほぐすように首を回し、ホルスターからナイフを抜き放つ。


「「――殺すか」」


 あかあおの視線が、冷たい殺意を乗せて中年男を穿うがつ。

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