0-2.『報酬が支払われるまでがお仕事だ』

 ——


 眉間みけんを撃ち抜かれたアルバートの身体が――その輪郭りんかくに三原色の残像グリッチを発生させながら——まるでホログラムのように。

 超常の光景、呆気あっけに取られる中年男と黒スーツたち、生まれるわずかな間隙かんげき


 ただひとり笑みを浮かべていたワイスは、上げていた両手を無造作に振った。


 ジャケットの袖から滑り出ると同時に投擲とうてきされたナイフが、鋭い音を立てて左右にいた黒スーツの喉を貫いた。

 血飛沫ちしぶき苦鳴くめいに気付いた残りが銃を構え直すも、銃口の先に彼女の姿は無い。


「……こっちだよー」


 肩を叩かれた黒スーツのひとりが振り向く。

 回ったその首には、既にあかが引かれていた。

 あまりにも速い首と胴体のお別れに、少女の細指に握られたナイフは刃先から血の涙をこぼす。


 一瞬で黒スーツの後ろに回り込んでいたワイスは、足下に滑り落ちてくる生首をサッカーボールのように蹴飛けとばした。

 断面から吹き出した血が、放物線をなぞって赤い尾をく。


 残虐ボレーシュートは奥の黒スーツにヒット。

 銃声が得点を告げるブザーのように鳴り響く。狂った照準エイムから放たれた弾丸は、向かいに立っていた別の黒スーツの左胸に飛び込んだ。


「気をつけろ、こいつら〈悪魔憑きフリークス〉だ!!」


 中年男の怒声を号令に、誤射をまぬがれた別の黒スーツたちが容赦なく引き金トリガーを引き続ける。  


 広大な廃工場をぐるりと駆けるワイス。断続的に連鎖する発砲音。

 追いすがる銃弾は壁や床に穴を空けるばかりで、その華奢きゃしゃな身体にはかすりもしない。


 やがて弾切れにより銃声が止み、空薬莢からやっきょうの転がる高音がむなしく連鎖する。

 太腿ふとももに巻き付いたホルスターから大振りなナイフを抜き放つと、ワイスは笑みを浮かべて一直線に駆けた。


 黒スーツの一団も拳銃を投げ捨ててナイフを構え出すが——


っそ」


 一閃いっせん

 一陣の白い疾風はやてとなったワイスが黒スーツたちと交錯。軌道上にいくつもの銀光が瞬き、鮮紅せんこうが飛び散る。


 死の風が過ぎ去った後、彼らは一様に裂かれた喉から断末魔だんまつま代わりの血を噴き出し倒れた。


 流麗りゅうれいな動作で血振りしたナイフをホルスターに収め、ワイスは軽いストレッチを終えたかのように一息つく。

 その服に返り血の一滴すら浴びておらず、呼吸の乱れなど一切無かった。


「あっはは、よっわいなぁーお前ら。一丁前いっちょまえなのは格好だけかよー」


 自らが生み出した惨状を見渡しながら、ワイスは遊び足りない子供のように不満を漏らした。



◆◇◆◇◆◇



 あまりにも一方的な相棒の血腥い殺戮劇グランギニョールを、アルバートは眺めていた。


 ……といっても、まともに見ていたのは生首でサッカーを始めたあたりまで。


 それ以降はバックミラーに映った自分の顔――切れ長の赤目と不健康そうな顔色に辟易し、『睡眠時間をもっと取らないとなぁ』とか余計なことを考えつつ、車の座席シートとは思えないような座り心地の良さにしばらく微睡まどろんでいた。


 車体が乱暴に揺らされ、束の間のうたた寝から強制的に目覚めさせられる。


 アルバートが非難の視線を向ける先、ワイスは不機嫌そうな顔をして片足でボンネットを踏み付けていた。

 さっきの衝撃はバンパーあたりを蹴り飛ばしたのだろう。


 ——モノの価値が分からない奴だ。

 嘆息しながらアルバートはしぶしぶドアを開ける。


「良いご身分だなー、お前。あたしがひとりで戦ってるときに居眠りとかさー」

「お前が言うな。俺が殺されそうなときに爆睡してただろ」

「バートなら転換スイッチすりゃ大丈夫だろー。実際死んでないし」

「あのなぁ。元はと言えば、なんだぞ?」

「しょうがないっしょ。おっさんを〈遺体〉から遠ざけるには、あれしかなかった」


 ワイスの視線の先にあるものを、アルバートも眺める。


 コンクリ床のある一点――乾き切った赤黒い血溜まりの中に、が転がっていた。


 光沢のある黒で塗られたとがった爪。第三関節にめられた悪趣味なほど豪華な指輪は、皮膚と癒着ゆちゃくしている。

 その断面から血は一滴も流れず、しかしだ。

 まるで、かのように。


 ――いつ見ても〈大悪魔の遺体ゴエティア〉は不気味だ。


 のどに込み上げてくる苦々しい不快感を飲み下しながら、アルバートは脳裏で絶体絶命こんなことになった原因を回想する。


 運送屋を営む彼らが中年男から依頼を受けたのは、つい数日前のこと。

 遠路遥々えんろはるばる運んできた今回の――〈遺体〉の受け渡しの際、中年男は不用心にも素手で触ろうとした。


 あれは一般人が気安く触れていいものではない。彼を遠ざけようとするワイスの正しかった——


「だからって、依頼主を奴があるか……?」


 起こした行動アクションが、だった。


 蹴り飛ばしやがったのだ。それも鳩尾みぞおちを思いっきり。

 中年男の身体は嘘のように吹っ飛び、後ろに控えていた黒スーツの一団をボウリングのピンのように薙ぎ倒した。


 当然、彼らは顔を真っ赤にして逆上し、アルバートたちの命が脅かされる羽目になったのだった。

 だが、当の元凶ワイスすずしい顔をしていた。悪びれる様子もない。


「だってさぁ、見てよあのあぶらぎった肌。触るのイヤじゃん、臭いし。……で? どーすんの、


 ワイスが親指でぞんざいに指す先――〈遺体〉の隣には、すっかり腰を抜かした中年男ブタがいた。


「ブヒブヒわめかれるとウザいしー、とりあえずっちゃう?」

「いや、あれでも依頼主クライアントだ。仕事が終わるまでは丁重に扱え」


 怪訝けげんな顔で太腿ふともものホルスターに手を伸ばすワイスを制し、アルバートは中年男に近付いていく。


「いや、仕事ならもう終わったっしょ。頼まれてた荷物ブツは渡した」

「ワイス、俺たちの仕事は慈善事業ボランティアじゃない。よーく覚えとけ、だ」

「……はいはい、分かった分かった」


 後ろに続くワイスの言葉に振り返り、アルバートはその鼻先を指差す。分かっているのかいないのか、煙たげな顔で手を払いのけられた。


「お、おい……それ以上近付くなよ……!!」


 拳銃を突きつけてくる中年男。

 さっきまでの不遜ふそんな態度はどこへやら……声はすっかり震え、失禁していないのが不思議なくらい蒼白な顔。


 おまけに狙う先を決めかねた銃口が震えながら右往左往するせいで、威嚇いかくはまるで様になっていなかった。


 中年男の前に仁王立ちしたアルバートは、極めて事務的な愛想笑いを浮かべる。


「――さて、改めてと行こうか」


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