第3話:原始的な
「なんて平和なんだろう......」
次の日、僕はカフェでつかの間の平穏を楽しんでいた。
山之内事件以来いじめは激減し、その取り巻きたちも鳴りを潜めていた。きわめて平穏かつ、狭義の正常な学校生活。
こんなに平穏なのはいつぶりだろう......
今日はカツアゲされることもなく、ズボンを脱がされることもない。まるで天気のいい瀬戸内海の凪時のようである。
しかし、同時に彼らに同情もしていた。
ここでいう彼らというのはいじめていた彼らである。僕がお供えをしたばっかりに、あの少年の恐怖におびえながら通学しなければならない。そして彼らの楽しみである先生から隠れて夜中に寮から出る、といったある種の不良的行為も、少年への恐怖と、先生の目もあって自粛しなければならないのだ。
達也はどうやら全治6週間の大けがらしい。
拳で顔面を殴られたらしく、頬骨が折れ、奥歯が二本粉々に砕け散っていたらしい。さらに言えば歯並びがバラバラになり、顔の輪郭は見事に折れ曲がってしまったそうだ。
それを見た達也の彼女が涙目で逃げ出し、結果女にも逃げられるというさんざんなことになった。
正直彼に同情はする。いくらいじめていたとはいえ、ここまでする必要はあまり感じなかった。しかし、同時にそこまでしなければいじめはなくならないという子供は優しい、という信仰に対するアイロニーにもなった。
僕はお昼過ぎまで校内のカフェでコーヒーを飲んだ後、寮を出た。今日は姫花と待ち合わせをしている。”足利様”の正体を今日こそ突き止めるためだ。
もしあの少年が”足利様”だとして、何歳なのか、何者でどこに住んでいるのか?
変な話だが彼の全てが魅力的でその魅力には恐怖も少し混ざっていた。
しかし、いかんせん僕は奥手なところがある。
あの地響きのような声でまた一喝されると、おそらくまた機会を逃すだろう。
そのため、姫花の社交性が必要だった。それに”足利様”を出しにデートもできる。
一石二鳥だ。
僕は昨日と同じように身支度をすると、寮を飛び出した。
男子寮と女子寮、それぞれにつながる三叉路に到着すると、そこには普段は見せないおしゃれな格好をした姫花が立っていた。
フリルのついた赤いワンピースに、校則で禁止されているピアスをつけている。靴もヒールである。
「なんでそんなにおしゃれしてるの?」
「何言ってんの! あんたの言うことが本当なら結構なイケメンで、筋骨隆々なんでしょ? だったらこっちだってそれなりの礼儀を見せなきゃ!」
まったく、女ってやつは......
あきれる僕を無視して姫花が口を開く。
「で、その祠に現れる男って、いつ頃現れるの?」
そういえば、具体的に何時ごろといった法則性は発見していない。以前は学校帰りの夕方にお供えして、それが次の日に処理が終わっており、前回はお昼ごろに現れた。
もしかしたら法則性なんてないのかもしれない。
または僕らが知らない法則が何かあるのかも......
黙って考え込んでいる僕に、急かすように姫花が大声を上げる。
「いつ頃なのよ!」
「わかんないよ!」
僕も同じぐらいの大声を上げた。姫花は僕の大声が予想外だったのか少し気圧されるたようにたじろぐと、弱弱しい声を上げる。
「わ、悪かったわよ」
僕は何も返さなかった。ここで何か言っても墓穴を掘るだけだ。彼女の「悪かった」はここは急かして悪かったという意味でとらえた。かといっていつ頃なのかわからないと、動きづらいのはあるだろう。というわけで......
「法則性はないと思う。ただ、張り込んでみる価値はあると思う。もしかしたら一日に何度も現れるかもしれないし」
「わかったわよ」
僕らはそんな紙のように薄い自信をもとに三叉路を出発した。姫花とデート―デートと言っても名目上は”足利様”を探すなのだが―するのは久しぶりだった。
足取り軽く前に進んでいると、姫花から突っ込みが入った。
「何よ、楽しそうね」
「そら楽しいよ!」
「そんなにいじめが無くなったことが嬉しいの?」
「そういうわけじゃあ......」
「ずるい男......」
まあそれは否めない。
本当は自分で解決すべきことを”足利様”にやってもらったわけで、そのせいである種の被害も出ている。ただ、楽しいのは”いじめが無くなったこと”ではない。”姫花と一緒に歩いていること”だ。
そのため、余計な誤解は解いておく必要があった。
「別にいじめが無くなったから楽しいわけじゃないよ」
「ふーん。あそ」
これは信じてないな......
そんなやり取りの間にも僕らは歩を進め、万歳町の神社を横目に例の山道に入った。もうそろそろ祠につくはずだ。
その山道に一歩足を踏み込んだ時だった。
音が止んだのである。
先ほどまで鳴り響いていた夏の大合唱は、指揮者が止めたかのようにピタリと止まり、自分の血流の音が耳の中で響いていた。
彼がいる!
「な、なによこれ!」
何が起こっているのかわからないのか、こそこそ声で僕に話しかける姫花の手を取り、引っ張りながら坂を駆け上がる。
「な、なにしてんのよ!」
「”足利様”が来てるんだよ!」
「ど、どういう意味!?」
明らかな困惑の表情を浮かべる彼女は訳も分からず、必死に足を前へと進めていた。僕も太ももが乳酸で破裂しそうになる感覚を気合で押さえつけ、必死で走った。
ひたすらの無音の中を、二人のバタバタという足音が貫いていた。
そしてついに祠に到着したとき、また例の堰を切ったような夏の音が戻ってきた。
数メートル先には例の赤目の少年が立っていた。昨日と同じ格好。同じ顔の彼だった。そして彼は昨日と同じ目でこちらを一瞥すると、また立ち去ろうとした。
姫花は切れた息を必死で止めると大声で叫んだ。
「あんたが”足利様”なんでしょ!」
少年は歩を止めるとこちらにゆっくりと振り向いた。
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