792






 リゼが着ているスライムスーツは、三重皮膜とプレス加工により、理論値で成人男性の五十倍近い身体能力を発揮可能。

 そのため過負荷対策として、通常時に於いてはリミッターが課されている。


「はぁっ……はぁっ……」


 最大強度の断絶領域四枚に加え、ヨグ=ソトースを斃すため『次元斬』を撃った筈。


 百階層に降り立つ直前と比較し、確実に五キロ以上落ちた体重。

 多少の補給を行ったところで、疲労までもが劇的に回復することは無い。


 ──そんな状態でリミッターを外すとか、無茶しやがって。






「はぁっ……はーっ……ふっ……ふぅっ」


 褪めた顔色で荒く呼吸を繰り返し、ゆっくりと息を落ち着かせるリゼ。


 その左手には、今し方の『飛斬』に使っただろう千鳥プラヴァ

 右手には、何故か大鎌の代わりに不抜の剣を、半ば水面に浸す形で握っていた。


「お前、それ」

「立て続けにフルの『呪胎告知』を重ねた所為で、流石に臨月呪母がイカレそうだったのよ」


 かっぱらったのか。

 前々から思ってたが、ヒルダに対する扱いが雑過ぎる。

 さっきだって蚩尤に勝てたらスキル抑制剤を飲んでデートしてやるとか、あのクスリくせに。殆ど詐欺だぞ、タチ悪い。


「そんなことより」


 水上を滑るように動き、リゼが俺の前に立つ。


「視てたし、聴いてたから、状況は分かってる」


 空間歪曲に『ナスカの絵描き』を合わせた千里眼と、体内ナノマシンの聴覚リンク。

 案の定、筒抜けか。やはり全て把握済みっぽい。


 となると。


「交代よ。私がやる」


 まあ、そうなっちまうよな。


「……あと三十秒ばかり、譲って貰うワケには──」

「泣く」

「オーケー落ち着け、ステイステイ」


 謹んで従おう。

 だから、泣くのだけは勘弁。






 あらゆる穢れを払う『消穢』の恩恵を受けた、埃ひとつ被っていない身綺麗な背中。

 疲労を湛えた重い足取りで、一歩ずつリシュリウへと近付いて行くリゼ。


「いいところで、しゃしゃりでてきて、うっとうしい。わざわざ、わたしが、あなたの、あいてをする、りゆうなど、ありませんが?」

「なんでアンタの都合に沿ってあげなきゃいけないのよ」


 舌打ちに近い語調と併せ、千鳥プラヴァをホルスターに仕舞う。


「……そのけんを、ぶきに、えらんだのは、けいがん、ですが」


 リシュリウの左目のみ、ちらと不抜の剣へ向く。


「そんな、いまにも、たおれそうな、からだで。まともに、たたかえると?」

「るっさいわね」


 至極尤もな指摘。

 あれでは『次元斬』どころか最低出力ヒトツキの『宙絶』や『流斬ナガレ』すら儘なるまい。


「めんどうな……しかし、よろしい。そうも、しを、のぞむなら、あたえましょうとも」


 スキルによって水上に在る筈のリゼが、しかしリシュリウの視界に入れど沈まない。


 邪視という性質上、魔眼は同時一ヶ所にしか効果を及ぼせないのだ。

 俺とリゼとでは、俺の方こそ脅威だと断じている模様。


 馬鹿め。


「さようなら」


 頸を狙い澄ました横薙ぎ一閃。

 疲弊が酷い今のリゼには、すり抜けることさえ至難の剣尖。


 が──そもそも対応など、必要無かった。


「…………は?」


 細い首筋を斬り裂く間際、ぴたりと静止した刃。

 調子外れな声音と共に、疑問符を零すリシュリウ。


 ああ。か。


「言ったろ。詰みだってよ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る