777・Rize






「ふぅ」


 爪先で水面に波紋を作りながら溜息。

 水上に立ち続けるの、すごい疲れる。


 まあ、そんな瑣末はさておき。


「どう考えても無理よね」


 頭上を仰ぐ。


 視線の先。虚空を蠢く、ひどく巨大で歪な……何かとしか言いようの無い何か。


「なんなのアレ」


 確と目に映っているのに、像が霞む。

 姿を把握出来ない。捉えようと思考する度、集中が散る。


 まるで。頭が奴への理解を拒んでいるみたいな感覚。


「気色悪っ」


 難度十ダンジョン『ラヴクラフトの脳髄』九十階層フロアボス『ヨグ=ソトース』。


 二十世紀初頭の小説家が創作した神話体系に登場する神性の一柱。

 当然、厳密には異なる存在なんでしょうけど、人間の空想に過ぎなかったモノ達の似姿がダンジョンを練り歩くのは日常茶飯事。

 それが果たして何を意味するのか、事象革命以降の四十年余り、各所で日夜議論が交わされてる。


 ……私には微塵も興味の湧かない話。

 そんなことより、こないだ食べた限定フルーツタルトの次回販売日が知りたい。






「んー」


 コーラ味の棒付きキャンディーを口に入れながら、思う。


 アイスが食べたい。

 プリンが食べたい。

 ケーキが食べたい。

 ドーナツもクッキーもチョコレートもパフェもシュークリームも、全部食べたい。


 美味しいレストランが入ってると評判の水族館に行きたい。

 食パン丸ごと一斤使ったハニートーストを出すカラオケに行きたい。

 遊園地とか、スイーツバイキングとか、映画館とか、手当たり次第に全部行きたい。


 ──両手一杯お菓子を買い込んで、一日中、家で月彦と過ごしたい。


「リゼさんは欲深いのよね」


 出会ってから今日まで積み重ねた、微睡みにも似た日々。

 それを死ぬまで繰り返すことこそ、私の最たる望み。


「そのためなら命ひとつ賭けるくらい、安い代償」


 再び天を睨め付ける。

 ヨグ=ソトースは私になど見向きもせず、ただ漂うばかり。


 好都合。


「あー無理。やっぱり、どう考えても無理」


 肩に担いだ臨月呪母を両手で握る。


「──あれは、


 長柄に刃を固定する五つの留め具を解き、そのまま取り外す。


 次いで。口金に繋がった停戦の鎖ソードラインの端を掴み、勢い付けて回し始めた。





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