776・Glass






 戦端を開く前、凶星が差し出した青い血を飲んだのは、結局のところ私一人だった。


 ヒルデガルド・アインホルンは、彼への対抗意識から拒絶。

 尤も、機械部品がチカラに耐えられないだろうという懸念もあった筈だが。


 榊原リゼは「血よりドクペ寄越しなさいよ」と駄々を捏ねていた。

 あんなサイケデリックドリンクを好む人類が本当に居たとは、驚きを禁じ得ない。


 ──ともあれ。私だけが血杯を拝領し、リスクと引き換えに、借り受けた。


 人であり竜であり、人でもなく竜でもない、孤高の単独種たる人竜のチカラを。






「うぐっ、がっ……ああああああああああああああああああああああッッ!!」


 塗り潰される。

 肉体も。精神も。何もかも書き換わって行く。


 二ヶ月置きのホワイトニングを欠かさぬ歯は、鮫の如く鋭利に。

 小まめなトリートメントとブローで磨いた赤毛は、腰どころか膝まで届く長さに。

 週末のエステ通いで艶と瑞々しさを保っている肌は、所々が鱗状に。


 そして──最たる変化は、右眼。


「ふるるるるる、ううぅぅぅぅっ」


 熱い。眼球が溶けそう。

 痛い。細胞ひとつに至るまでの変貌とは、こうも身体を蝕むのか。

 怖い。心の在り方が揺らぐ。自我が削り取られる。


「ああああああああっ、ぎっ、ぐ」


 手首から先が変質しなかったのは、せめてもの幸い。

 銃の取り回しに難が出ては戦力半減どころの騒ぎじゃない。文字通りの死活問題だ。


「はっ、はぁっ、はーっ……はーっ……」


 やがて取り込んだ熱が全身を一巡。

 気の狂いそうな痛みも、動ける程度には引き潮となる。


「……ばり、つらか……」


 五体が千切れかねなかった、無限にも感じた数秒の地獄。

 私は『黄泉比良坂』で現世と冥府の境界を渡れるため、死んだ直後なら蘇生可能だが、凶星のように自力で損傷の修復は出来ない。

 早急な治療には等級の高い回復薬ポーションを使わねばならず、消耗状態で回復の負荷に耐えることは難しく、傷が癒えたところで戦う余力など残らない。


 改めて考えれば、実に危うい賭け。

 しかし私は、賭けに勝った。


「ああ。いい気分」


 高く放り投げた五丁拳銃が手元に落ちる。

 受け取り、弄び、新たな弾を造り、装填する。


「神よ、神よ。全能なるものよ」


 虚数波動を払ったゼウスが、私に雷霆ケラウノスの矛先を向け遣る。

 が。その勢いは、見る見ると衰えて行く。


「人竜と化せし我が魔眼の前には、全能なぞ無力」


 銃口を突きつける。


「さあ」


 私が己に耐えかね、砕け散るか。

 其方が力尽きて斃れ、息絶えるか。


「根比べだ」


 織り重なった銃声が、隔たれた空間全域を劈いた。





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