765・Hildegard






、苦労デアッタ、小娘。褒メテ遣ワス〉


 体勢が崩れ、失墜する。

 辛うじて水没寸前で堪え、一瞬の逡巡を経た後、ほぼ柄だけとなった石剣を棄てた。

 このザマでは、もう何の役にも立たない。


〈我等ハ個デアリ群。数ヲ減ラセド、力ノ総量ハ常ニ同ジ〉

〈シカシ嘆カワシイモノヨ。我等ノ肉体ヲ砕ケル力ノ持チ主ガ、コウモ少ナイトハ〉

〈コノ世界ニ棲マウ猿共ノ脆弱サニハ憐憫スラ抱クゾ〉

〈我等同士デ殺シ合ッテハ意味ガ無イト言ウノニ〉


 四匹の蚩尤に四方を取り囲まれ、嘲笑を投げ掛けられる。


 ──そんなものに耳と思考を傾けてる時間が惜しい。


〈ソレニ引キ換エ、貴様ハ随分ト上手ク踊ッテクレタ〉


 尾は全て千切れた。武器が要る。

 素手じゃ、こいつ等を殺せない。


〈褒美ヲヤロウ。アラユル苦痛ト共ニ、指先カラ削ルガ如ク、緩慢ナ死ヲ〉


 レールガンじゃ駄目だ。

 他に何か、何か。


「……え?」


 ふと。指先に触れた、硬い感触。

 視線を向けると、圧縮鞄に仕舞い込んであった筈の、鞘から抜けない剣。


「なんで」


 いや、いい。

 理由とか、そういうのは全部後回しだ。


「ぐっ」


 既に壊れ果てた義手。

 力場で強引に形を留めて動かし、柄を握る。


「こ、のっ」


 周りでは蚩尤達が、何か口々に喋り倒している。

 耳鳴りが酷くて、よく聞こえない。正直、聞く気も無い。

 

「抜け、ろ」


 これが抜ける時など来ない方が良いと、吉田は言ってた。

 抜けたところで無意味だ、みたいなことも言ってた気がする。


 でも。だけど。


「鞘に収まったままの剣なんか、無意味以前に無価値じゃないかっ」


 奥歯を噛み締め、渾身と共に想像する。

 この役立たずな長物が、一端となる光景を。


「ぐ、くっ」


 本来『アリィス・トラオム』は、実在するものに対し、直接の効力を持たない。

 けれど『捨身飼虎』で凶化された今なら、一種の暴走中である今なら。


「ああああっ」


 ここで敗けるワケには行かないんだ。私は、こいつ等を任されたんだ。

 姉にすら腹の内では獣扱いの私と、唯一対等に接してくれる友人達に、任されたんだ。


「ああああああああっ」


 何より──こいつ等ぶちのめしたらデートしてくれるって、リゼが言ったんだ。

 しかもスキル抑制剤を使って『消穢』を不活性化させるオプション付きで。


 今日という鉄火場を乗り越えれば、とうとう触れられる。

 ツキヒコ以外、絶対不可侵の柔肌に。


「さっさと抜けろよ、ガラクタめぇぇぇぇッッ!!」


 喉の限り、叫ぶ。


 刹那。錠前の開くような音が、手元で小さく鳴り渡った。


「ッ」


 直前までの抵抗が嘘みたいに、するりと現れ出る白刃。

 鏡さながらに光を跳ね返す、息を呑むほど美しい剣身。


 それに対し、感慨を抱くよりも先──残る力の全てで以て、一刀を振り抜いた。





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