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 事象革命以降の過去四十年余り、九十階層フロアボスが討伐された記録は無い。

 当然だ。そんな前例があれば、討伐不可能指定クリーチャーなどと銘打たれはしない。


 そしてリゼの空間転移は、人類が一度も足を踏み入れた経験の無い場所には行けない。

 必然、道など繋げられない筈なのだ。


 にも拘らず、リゼは出来ると言う。


 即ち──誰かが既に辿り着いている理屈。


「誰だ?」


 パッと頭に浮かんだのは、斬ヶ嶺鳳慈。次いで六趣會。

 けれどすぐ、違うだろうと思い直す。


 鳳慈氏は妖狐と戦い、死んだ。

 指二本となった彼の遺体を回収した六趣會も、妖狐に敗走している。


 あの面々で駄目なら、どんな精鋭を何万人と掻き集めたところで、突破は無理だ。


 …………。

 いや。居る。一人だけ。


「チッ」


 脳裏に蘇る白亜の女。

 不愉快な顔を舌打ちと共に消し、女隷の手袋を外した後、リゼの肩へと手を置いた。


「やってくれ」

「りょ」


 横薙ぎに振るわれる、柄のみのナイフ。

 高周波振動機構で真空の刃を生成する、単純な斬れ味だけなら先代のマゼランチドリは勿論、臨月呪母をも凌ぐ奇剣。

 深層クラスのドロップ品を惜しみなく使ったことで基礎的な強度も跳ね上がっており、九割コノツキまでの呪詛注入に耐える、掌サイズの大業物。


「『宙絶イツツキ』」


 十三に分かたれ躍る、赤とも黒ともつかない軌跡。

 全方位より一点へと収斂、同時に衝突、空間を穿つ。


 幾度も繰り返し見た光景。馴染みある、しかし実態は笑えるほど高難易度の技術。

 六つのスキルを余さず統合し、それ等を完璧に御さなければ決して成立しない絶技。

 雑なようで、極めて繊細なのだ。


「はい開通」


 気だるい宣告と併せ、完成する真円。

 きっかり直径二メートル。縁はヤスリがけしたかのように滑らか。

 最初の頃の不格好な穴とは雲泥の差。目覚ましい躍進が窺える。


「僕一番乗りー!」

「させるかァッ!」


 飛び出しかけたヒルダの襟首を掴む。

 やると思ったよ。やると思ったよ。やると思ったよ。


「ぐぬぬぬぬぬっ! は、はな、離せーっ!」

「引っ込め、弁えろっ! こういうのはリーダーに譲るもんだろが!」


 押し合い圧し合い、我先にと争う。


「フォーマルハウト! 王命だ王命! ヒルダを取り抑えろ!」

〈御意ノママニ〉

「このっ、他所の手を借りるなんてズルいぞ!」


 わちゃわちゃ揉み合う。

 くそ、薄っぺらい鎧のくせになんて硬さだ。無性に損した気分になる。


「……バカやってないで、さっさと行くわよ」

「「あ」」


 そんなこんなのうち、ひょいとリゼが空間の境目を跨いでしまった。

 悲しい。





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