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〈──王ヨ〉


 濡れた声音で、静かに呼ばれる。

 つーか雪鎧を纏え。


〈王ヨ。王ヨ。三千世界デ唯一人ノ、真ニ尊キ方ヨ〉


 さめざめと涙を流し、フォーマルハウトが俺に傅く。

 マイナス二百度以下の極低温を垂れ流そうとも、己の体液は凍らない模様。


〈今日ニ至ルマデ積ミ重ネタ無礼非礼ノ数々、御赦シヲ〉


 なんかされたっけ。


〈最早、妃ニナドト厚顔ハ申シマセヌ。ドウカ女奴メヤツコトシテ、御側ニ置イテ下サレ〉


 だいぶ滅茶苦茶言い始めたよコイツ。

 どしたの。頭でも打ったの。


「ねーツキヒコ。めやつこって何?」


 腰に当てた手と脇腹の隙間から、にゅっと飛び出すヒルダの頭。

 猫か貴様。


「茶の間で垂れ流したら炎上する類のワードだな」


 要は女性に対するガチめの差別用語。


 ……生憎、召使いを欲しいと思ったことは無い。

 当然、妻に娶る気も皆無。重婚罪は懲役二年。


 そもそも月彦さん、割と純愛派。リゼ以外の女に関心非ず。

 なんとなく負けた気になるので本人には言わんが。


「知ってるけど。とっくの昔に」


 心を読むな。






 あったかいコーヒーが美味い。

 細かく指先を震わせれば振動が伝わり、凍結を避けられるのだ。


「さて残り時間は……あーあー」


 アホみたいな低温に耐えかね、とうとう腕輪型端末がイカレちまった。

 Dランカー仕様は深層での運用を想定した自己修復機能付きなんだが、流石に限界か。


 修理も難しそうだと判断し、取り外して投げ捨てる。

 御苦労さん。


「再発注の手続き、地味に面倒なんだよな」


 ランカーに名を刻んで以降、たぶん十回くらいブッ壊してる。記憶の限り。

 その都度、自費で新調よ。一桁シングル専用モデルとなると、だいたい二億円くらいする。

 五億だったかも。忘れた。


「体内ナノマシンも機能停止、と」


 ちなみにリゼ達の端末は特に問題無い模様。フィジカル任せな俺と違い、各々の方法で冷気を遮ってるからか。

 こんなことなら樹鉄刀の熱放出で周囲の気温を調整しとけば良かった。


「五十鈴。リミットを読み上げてくれ」

「イチイチゼロイチイチゼロゼロゼロゼロイチイチゼロ秒」


 なにゆえ二進数。時々、斜め上の言動を図るよなコイツ。

 面白いから構わんけども。


「三千四百六十二……五十七分ちょいか」


 現在地点は九十階層。

 そして俺達の目的地は、難度十ダンジョンの最深部と嘯かれる、前人未到の百階層。


 完全な未知の領域である九十番台階層を、あと一時間足らずで踏破し尽くし辿り着く。


 心情的には実に燃えるシチュエーション。

 しかし現実的な意見を申し上げさせて頂くなら不可能に等しい。ほぼ妄言だわな。


 ……が。u-a曰く、のだと。


「リゼ」


 かつんかつんと大鎖鎌の切っ尖で等間隔に石畳を叩いていたリゼが、瞼を開く。


「ん。大丈夫」


 腿に括った千鳥プラヴァを引き抜き、呪詛を注ぎ始める。


「繋げられるわ。百階層」





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