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 光速を凌駕し、時間と空間の整合性を打ち崩すに至った身体能力。

 ほんの爪先ほど踏み込み、二キロ近く開いていた間合いを詰め、腕輪型端末が示す時刻を目の端に捉える。


 一秒、数字が戻っていた。


「こいつァ、長引きそうだな」






 停戦の鎖ソードラインで戦意を削いで尚、一帯を埋め尽くす圧。

 息吹く都度に肺が抉られるような、鉄で拵えた鑢の如し空気。


 寄らば寄るだけ、強く五感を掻き毟る『死』。

 根源的な恐怖が骨肉を齧り、震えと悪寒を流し込んで行く。


「くくっ」


 いいね。


「ハハハハハハハハッ!」


 堪んねぇな。最高に辛味の効いたスパイスだ。

 どんな香辛料も今の心地と比べたら、悲しいくらい風味がトんじまってる。


〈ナンダ、コノ鎖ハ……オレヲ捕ラエタツモリカ?〉


 毒づいた妖狐が、身を揺する。


 それだけ。

 たったそれだけで、括られれば俺も些か梃子摺る縛鎖を、振り解いた。


〈──笑止!〉


 天地に轟く一喝。

 想像の世界が、前後左右を著しく乱す。


ワタシヲ眼前ニ置キナガラ魂ヲ潰サズ、肉ノ形ヲ保テテイルコトハ褒メテヤル〉


 横向きとなったビルの壁面に立つ。


 重力のベクトルが滅茶苦茶だ。

 たかだか声で、随分と摂理を引っ掻き回された。


〈シカシオレニ牙先ヲ向ケヨウナドト、驕リガ過ギルゾ〉


 否。これでもマシな方か。

 もう少しヒルダが不手際だったら、今の衝撃で世界自体ブッ壊れてた筈。

 やはりアイツには、想像の維持に注力して貰う必要がありそうだ。


ワタシハ主上ノ近衛。寝殿ヲ護リシ開カズノ門番、九ツノ極星ガ一〉


 軋みと共に、世界の均衡が癒える。

 四度、虚空を跳ね、再び妖狐の前に立った。


 なんともはや。破壊と創造のチキンレースだな。

 危なっかしくて見ちゃおれん。きっかり十五秒、ちゃんと保たせろよ。


 リゼの足引っ張ったら、殺すぞ。


〈……気ニ食ワンナ〉


 六眼が俺を射抜く。


 余程の手練れであろうと、この視線だけで肉も骨も魂も四散するだろう眼力。

 魔法の類ではない。単純に生物としての位階が、あまりに違う。


〈気ニ食ワン。気ニ食ワン、気ニ食ワン、気ニ食ワンッ!!〉


 怒号。また想像世界が揺れる。

 しかし今度は持ち堪えた。流石に同じ轍は踏まねぇか。


「どうしたよ、荒ぶりなすって。天下に遍し悪名が泣くぜ?」

〈囀ルナ、虫ケラ風情ガァッ!〉


 裂帛。

 次いで──吐炎。


 無数の牙で敷き詰められた顎の奥より放たれた、白い炎。

 狐火ってヤツか。まるで太陽だ。


「『破界』」


 熱には熱。光波にて応じ、相殺。

 ……僅かに殺し切れず、左腕を焼かれる。


 参まで深度を上げた『鉄血』で固めた、骨肉を。


ト同ジ目デ、オレヲ見ルナァッ!〉

「あァ?」


 どの雌だよ。


〈忌々シイ……奴ニ奪ワレタ尾ノ怨ミ、貴様ヲ屠リ、慰メトシテクレヨウゾ〉


 オイオイオイオイ。御存知ですかね、お狐様。

 そーゆーの、まさしく逆恨みって言うんだぜ。





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