692






 迂闊に動けば死ぬと、本能が訴えかける。

 息を継ぐことも適わず、瞬きひとつも儘ならず、ただ妖狐を見据え続けて数秒。


〈……ヤハリ人間カ〉


 嗄れた男声にも、甲高い女声にも聞こえる奇妙な音色。

 それを耳にしただけで、地面へと押し潰されそうになる。


〈戒メヲ解カレ、目鼻ガ開イテ早々、何ヤラ騒ガシイト思イ、様子ヲ見ニ来テミレバ〉


 情けないザマだ、と階層を見渡しながら続く言葉。


 …………。

 よし。この重圧、漸く

 まさか何秒も掛かるとは。流石と讃えておこう。


れそうか、お前等」


 全身を食い破る形で突き出た樹鉄を赫夜と成し、五体に纏う。


 ひとまずは縛式止まり。ヒルコは、呪縛式は、まだ使わない。

 アレは出力こそ随一なれど、コスパが悪過ぎる。

 切るタイミングを誤れば、却って己の首を絞めるだけ。


 さて。


「無理だってんなら退がれよ。ま、背を向けたところで何処に逃げんだって話だが」


 がらがらと音を響かせ、石畳に落ちる八梃のレールガン。


 また『空想イマジナリー力学ストレングス』の制御を誤った……ワケではない。

 眼前のバケモノには豆鉄砲ほどの役にも立たぬと判断したヒルダが、自ら棄てたのだ。


「冗談でしょ。こんな美味しいシチュエーションで尻尾巻くとかさ」


 引き攣った語調。明らかな強がり。

 しかし、それでこそ。折角の死地、大見得切ってナンボだろうよ。


「……万象は儚く散り逝くさだめ……ゲヘナの杯に積もりしカルマを飲み干さん……」


 ジャグリングの動きに交えて踊り始めた五十鈴が呟く。

 なんて? やる気っぽいのは分かるけども。


「リゼ」


 視線も意識も妖狐に傾けたまま、後ろの相方を呼ぶ。

 暫時の間を挟み、深く静かな溜息が、耳朶を撫でた。


「はぁっ……仕方ないわね」


 ひゅん、とトワリングさせた大鎌の切っ尖が奏でる風切り音。

 石突で足元を軽く叩き、隣に寄り添う、美貌の死神。


「割と詰みっぽいし、一緒に死んであげる」


 そいつは光栄。

 が、些か気の早い決断にて候。


「命を粗末にするもんじゃねーよ。そういうのは、何もかも絞り尽くした末に考えな」

「アンタが言っちゃう?」


 俺の場合は、あくまで結果的に死ぬってスタンスだ。

 ハナから死を前提に動いたことは、生憎と一度も無い。

 たぶん。


 ──それと。


「一緒には死なんさ」


 例え灰になろうとも。


「お前が死ぬのは、俺より後だ」


 階層から吸い上げたエネルギーを、双掌に収斂。

 現状、俺達を敵とすら認識していないだろう妖狐へと、矛先を向け遣る。


「『破々界々』」


 極光が、地水火風を灼いた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る