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瞼を開くと同時、宙へ躍り、八方にレールガンを展開させたヒルダ。
バネの如く跳ね起き、四丁拳銃を抜き放ち、臨戦体勢を取った五十鈴。
体表の空間を歪ませ、スライムスーツを纏い、大鎖鎌を構えたリゼ。
俺もまた腰掛けていたソファを蹴倒し、天を仰ぐ。
正しくは、頭上の虚空──優に視界を埋め尽くす規模で奔る、真っ黒な亀裂を。
「何これ。絶対ヤバい感じだよね?」
「夜を上塗りし闇、海を沈めし水、空を覆いし
重力が何倍にも増したかのような感覚。
肌を、肉を、腑を掻き混ぜる、濃密などという陳腐な言葉では表し切れぬほどの怖気。
「ふうぅぅ、るうう、ふううるるるるぅぅぅぅっ」
死の存在を五感全てで察し、芯から震える身体。
冷や汗が頬を伝い、心臓は暴れ、千々に乱れる呼吸。
──あの亀裂の向こうに、途方も無い何かが居る。
「う、え──きゃあァッ!!」
「ひっ」
やがて各々の知覚で脅威の一端に触れたのか、ヒルダはスキルの制御を誤り地へと墜ち、五十鈴は拳銃を捌き損ねて取り落とす。
そして。俺達の中で最も索敵能力が深いリゼは。
「あ……ああ、ああああああああ、ああああああああああああああああッッ!!」
一体、何が視えているのか、ほぼ半狂乱状態。
血が滲む強さで臨月呪母を握り締め、へたり込み、泣きじゃくる姿。
それを捉えた瞬間。理知を突き破る間際だった狂気が、引き潮の如く凪いで行った。
「リゼ」
女隷を脱いだ手で頬に触れる。
二度三度と撫ぜ、目尻の涙を拭う。
「落ち着け。俺は此処に居るから」
「……はっ……はぁっ……つき、ひこぉ」
揺れて定まらぬ焦点が精彩を取り戻し、浅く繰り返されていた頻呼吸も鎮まる。
真っ青な顔色は変わらんものの、少なくとも恐慌は脱せた模様。
「ン……テメェらァ! ちんたらビビり散らかしてんじゃねぇぞ、あァ!?」
背中越しに振り返り、動きの鈍い二人へ一喝。
そこそこ効いたのか、双方共々、瞳に光が戻った。
「リゼと僕達との扱いの差。訴訟起こせば勝てると思う」
「推しからの塩対応……堪らん、ばい……」
「ショーコって割と無敵だよね」
再び浮かぶヒルダ、ジャグリングを始める五十鈴。
俺も女隷の長手袋を嵌め直し、四つ足に近い構えを取る。
──二度目の咆哮が、罅割れた空間を、完全に砕いた。
「お出ましだぜ」
黒の内側から姿を現したのは、燦然と輝く黄金。
狼に似たフォルム。巨躯に反して肉付きの薄い細面。
金色の毛皮で覆われた、好き勝手うねる八本の尾。
左右三対、計六つの禍々しい眼球。
「こいつァ想定外。まさか自ら出向くとはな」
何よりも特筆すべきは、その身に秘めた尋常ならざるエネルギー。
惑星数個にも匹敵するだろう、いち生物が抱えていい次元なぞ遥かに通り越した熱量。
…………。
斯様な怪物は、世界に散らばる全ダンジョンを挙げようとも、たった九種九体のみ。
間違いない。間違えようが無い。
どういう事情か、尾の数こそ一本足りぬけれど、こいつは。
「『白面金毛九尾の狐』……!!」
難度十ダンジョン那須殺生石異界、九十階層フロアボス。
嘗て斬ヶ嶺鳳慈を殺め、六趣會に黒星を与え、然る後には接触すら禁忌と定められた、生ける厄災。
討伐不可能指定クリーチャー。その一角だ。
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