662・Glass






 ──まずか。緊張し過ぎて、心臓停まろうごたる。


「すっかり遅れちまったな……」

「しゃーねーっしょ利根サン。五十鈴チャンが化粧に三時間もかけてりゃ遅れもするヨ」

「普段テキトーなくせ、なんなんだ今日に限って」


 下へ下へ向かう高速エレベーターの中、利根と筑摩の声を聞き流しつつ、掌に繰り返し『人』の字を書き記し、飲み込む。

 こうすると気が紛れると父さんに教わった。あの人の場合、母さんに迫られたり灰銀さんに迫られたりで、胃薬を飲んでることの方が遥かに多いけど。


 ──あ。そうだ。挨拶、挨拶しとかな。


「うおおお!? 五十鈴お前、何いきなり撃ってんだ!? 危ねぇだろオイ!」


 いや、だから挨拶。凶星に。


「地を這いずるばかりの獣に能うは所詮、星に向かって吼えるのみ」

「相変わらず意味分からん……時々ぽろっと出る博多弁の方は訳せるんだが」

「翻訳機に五十鈴チャン語も組み込んで欲しいよねぇ」






 ──人人人人人人人人。


「無理ばい。いっちょん落ち着かん」


 父さんの嘘吐き。

 この前、死にそうな顔でカルメンさんと朝帰りしたの、母さんにチクッてやる。


「今度は銃を回し始めたぞ。いつにも況して挙動不審だ」

「毎度、見事な技前ですなー」


 愛銃『グリップ・ダイヤ』と『グリップ・ハート』を弄り、心を鎮める。

 本当は分結を繰り返すのが一番だけど、手元に道具が無いため断念。


「そう言えば一時期、五十鈴チャンの真似してリボルバー使う探索者シーカーが増えてたっけ」

「装弾数アホほど少ねぇわ、そも拳銃程度の威力で倒せるクリーチャーなんぞ高が知れてるわで、すぐ廃れたけどな。ギリ三十番台までなら兎も角、こんなアンティーク引っ提げて深層に潜る馬鹿、コイツくらいだろ」

「しかも三十番台じゃ、それなりのドロップ品でも当てなきゃ弾薬費で足が出るしネ」

「つまり拳銃使いは基本、道楽モンてこった」


 誰が道楽者か。失礼な爺共め。

 それに私は『リロードツール』あるし。弾とか、その辺の物を材料に自分で造れるし。


 






 ──推しからんファンサが供給過剰で死ねる。しんどか。


 私と同じ青い血の礫。

 瓶詰めにしたい衝動を堪え、せめてとガンスピンで受け止め、銃身に滴らせる。

 家宝にして毎朝一時間崇めよう。


「ひゅっ」


 一挙手一投足も見逃すまいと目を皿にし、凶星の動きを追う。

 そしたら真横に。凶星が、私の真横に。


「ハローハロー。オヒサシブリだな、五十鈴ちゃァん?」


 名前。推しに名前呼んで貰っちゃった。

 探索者シーカーネームの方で良かった。本名なら即死だった。


「クリスマスには気が早過ぎるぜ、サンタさん」


 やだ超カッコいい。

 灰色髪に褐色肌とか、控えめに申し上げて神。

 つまり凶星は神だった……? え、どこの宗教に入れば貴方を奉れますか。教えて下さい毎月一億円お布施払います。


「ッ、ッッ」


 でも待って。無理、いきなり至近距離は無理。尊みが致死量でショック死しちゃう。

 準備をさせて。滝行で無我の境地に至れるまで一ヶ月くらい事前準備をさせて。


「焦らすなよ、なぁ。意地悪やめろって」


 ──手。

 おてて、にぎられ──


「ミ゜ッ」


 芯まで脳味噌が焼け焦げて、ショートする。バチバチって、凄い音した。

 内蔵とか吐きそう。冗談抜きで、ホントに死んじゃうかも。






 薄れ行く意識が、途切れる間際。

 もし運良く生きてたら。暫く手は洗わないでおこうと、固く固く心に誓った。





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