650・Felipa






 習得者の視力に応じて過去の可能性を見通し、一場面につき一度だけ事実を差し替えることが能う『ウルドの愛人』。

 私の『スクルドの眼差し』とは全てが対極的な、しかし同じく人域を離れたチカラ。


 そして支払う代価も、また真逆。


 命。即ち己の未来を削り取り、世界の未来を識る『スクルドの眼差し』。

 記憶。即ち己の過去を食い千切り、世界の過去を編集エディットする『ウルドの愛人』。


 とどのつまり、彼のチカラは──使うほどに、思い出を失くして行く。






 指先で額を叩き、考え込むツキヒコ。

 やがて肩をすくめると、その灰色の瞳で再び私を見る。


「分からん。忘れた内容を忘れた」

「……尤もですね」


 蹴り付けられるのを鬱陶しがったのか、u-aを離す。

 荒く呼吸を繰り返しながら、千鳥足で二歩三歩と退く彼女。

 息が出来なくて暴れてたみたい。


「ただ、そうだな……いつ知ったのか全く身に覚えが無い知識の量から逆算するに……三割は削ったか?」


 手を払いつつの、実に軽い語り口。

 過去の欠損など、上着の虫食い程度にも留めていない証左。


 …………。

 やめておけばいいものを、半ば衝動的に口を開く。


「榊原リゼと初めて出会った日のこと、覚えていますか?」

「あァ? あー、去年の五月頃だな。焼肉を奢った後にカラオケ三時間コース。帰るのが面倒でアイツの住んでたマンションに泊めて貰った」


 過ぎ去った出来事を差し替えるに際し支払う記憶は、完全なランダム。

 大切も些細も綯い交ぜに、等しく燃料として奪われる。


 けれど。そこに例外がひとつだけ。


「先週、彼女が着けていたピアスのデザインは?」

「三日月と月下美人。アイツ、アクセサリー関係は概ね週替わりなんだよな」

「先月くらいに髪を染めていませんでしたか?」

「そりゃ先々月だ。染めるってか前髪に赤メッシュ入れてた。コレジャナイ感があったみたいで、次の日には元通りだったが」

「御両親の顔と名前は?」

「忘れた。ジョニーとシェリーとかじゃね?」

譲二じょうじ紗里せりですよ」

「微妙に惜しいな。大マケにマケて正解ってことにしといてくれ」


 如何なるスキル。如何なる魔法。

 三千世界の遍く異能をも跳ね除ける、惑星規模の出力を以てしても侵せぬ不撓の精神。


 忘れない。例え頭蓋を砕こうとも。

 忘れない。例え他の総てを忘れようとも。


 ──何があろうと、忘れない。

 彼は。榊原リゼとの思い出だけは、喪わない。


 まさしく比翼連理。

 共に在るべき、運命の伴侶。






 ああ──血が滲むほどに、妬ましい。





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