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 汗を流す程度に朝風呂を済ませ、身支度を整える。


 脱衣所には予め用意された衣服一式。意外と畳み方が几帳面。お嬢様め。


 ここのところ着るものを自分で選んだ記憶が無い。

 まあラクで良い。動きやすければ特に拘らんし。ステテコと腹巻きでも構わん。


 …………。

 流石に嫌だな。ステテコと腹巻きは。






「それじゃ出て来る。朝飯と昼飯は冷蔵庫に入ってるぞ」

「んー」


 分厚いカーテンを閉め切った、殆ど陽の差していないリゼの私室。

 シーツに包まったまま手だけ伸ばし、ひらひら振る部屋主。


 昨日は殆ど夜通し起きてたからな。まだ眠いんだろう。

 俺は飲食さえ賄えれば多少の不眠不休なら苦と思わんが、徹夜には向き不向きがある。

 どちらかと言えばリゼは長眠体質。本人曰く一日十時間が理想らしい。


「目ぇ覚めたら窓くらい開けとけよ」

「んー」


 ほぼほぼ聞こえてないな、これ。

 おやすみ。






 思い返せば、電車やバスなんかの交通機関を使うのも久し振りだ。

 ここ半年ばかり、遠出の際は概ね空間転移だったし。どこでもリゼ(株)。


 尚、車検を通らなかったインテは邪魔だし廃車にした。

 パーツを純正に戻す手もあったが、自分の足で走るより遅い乗り物を、そうまでして使い続けるほどの愛着は無かった。


「しかし、どうでもいいが、もうちょい座席を広く作って貰えないもんか」


 だいぶ狭い。特に足回りが辛い。

 少し動くだけで前の座席に膝とか脛が当たる。死ぬほど邪魔。


「おいテメェ! 何度も何度もガンガンガンガン、ケンカ売って──あ、すいません……」


 背もたれの向こうから顔を出したヤンキー系の男が、俺を見るや否や引っ込んだ。

 ごめんなソーリー。






 目的の駅で電車を降り、ホームで待ち合わせ相手を探す。

 尤も、老若男女ひしめく雑踏の渦中だろうと、完全索敵領域で一発だが。


「よォ」


 日本人女性の標準を軽く二回りは凌ぐ、そこらの男よりも高い上背。

 目深なフードで大掴みに隠した、デザイン元となったシンギュラリティ・ガールズの一人を想起させる、しかしヒルダの手で細部を奴さん好みに置き換えられた形貌。


「……五秒と違わぬ時間通り。真面目なんですね」


 青い色眼鏡の奥で、柔らかく俺を見据える紫色の双眸。

 歌唱力への補正効果を持つスキル『聖歌ソング』の副産物か、単なる言葉さえ艶やかな音色を含んだ声。


「日時指定で示し合わせてたんだ。早く来る理由も遅れて来る理由も無いだろ」


 そう答えると、何が可笑しいのか──フェリパ・フェレスは、くすくす笑うのだった。





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