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 秋口も半ばへと移り、払暁と黄昏にかけて少しずつ寒風が吹き込み始めた今日この頃。

 夕食に鍋物でも作ろうかと思い立ち、買い物に出た道すがら。


「うぇーい!」


 頭の悪さ丸出しなシャウトと共に鳴り渡る、調子外れな低音。

 なんだと思えば、駅前で吉田のアホが弾き語り的な何かをやっていた。

 コイツ、ちゃんと許可取ってるんだろうな。


「とうとう生活に困窮して日銭稼ぎに路上ライブでも始めたか」

「おお月ちゃん! やあ、おはよう! 気分はどうだい!」


 中学英語の教科書の和訳文かよ。


 調子の良し悪しを答えるなら、日々の運動と食生活の甲斐あって至極健康だ。

 偏食気質なリゼの栄養管理には、少し考えさせられてるが。


「で。お前は何やってんだ」

「おうさ! やっぱ時代は音楽だよな!」


 いや知らんけども。


「俺ちゃんギターで世界平和を目指すナリ! まずは武道館ライブでフォーエバー!」


 初手までの道のりが遠過ぎる。

 音楽に詳しいワケじゃねえが、日本武道館を一日貸し切るだけでも八桁の金が飛ぶであろうことは考えるに及ばない。

 そこに機材の設置だなんだと必要経費を積み重ねれば、更に額は上がる筈。


 確かシンギュラリティ・ガールズは、ここ数年で五十回くらい武道館ライブを演ってると聞いたが……ワールドクラスの知名度を誇るアイツ等じゃ物差しにならん。

 ともあれアーティストにとって一種の到達点みたいなもんだと思われるし、お世辞にも現実的な目標とは言い難い。


 あとどうでもいいが、お前の持ってるそれはベースだ。

 多弦なら兎も角、普通の四弦ベースとギターは間違えないだろ常考。


「それでは聞いて下さい。作詞作曲俺ちゃん『滅亡五秒前』」


 世界平和どこ行った。舌の根も乾いてないぞ。


「──ちょっと君。道路使用許可証を見せて貰えるかな」

「輝ける明日へランナウェイ! 好きなシュートはフェイダウェイ!」

「あ! こら待てっ!」


 近寄って来た警官に話し掛けられるや否や、脱兎の如く逃げ出す吉田。

 やっぱり取ってなかったんだな、許可。






 ちなみに、この一週間後。吉田の武道館ワンマンライブが開催された。


〔ファンの皆、今日は来てくれてありがとー! 世界平和を願う俺ちゃんの歌、たっぷり聞いてってくれよなー! エビバディヘイホー!〕

「嘘だろ」


 テレビの前で唖然とする俺。

 上手く弾ける弾けない以前の、ギターとベースの区別もつかない奴が、どうして。


〔それじゃ一曲目! 『全テ灰ニナレ』!〕


 だから世界平和どこ行った。

 或いはアレか。人類が滅びれば平和になるとか、そういうスタンスか。


 成程。一理あるな。





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