638・閑話36






〈はぁ……はぁ……もうやめよか……虚しいわ……〉

「そ……そうだな……いい歳して何やってんだか……」


 道行く幼子に指差され「ママー、あの人達なにやってるのー?」「しっ! 見ちゃいけません!」をリアルでやられ、意気消沈した二人。

 共に肩を落とし、再びベンチに座り、揃って溜息。


 束の間、無言が挟まる。


「……なあ、凡次郎」

〈なんや〉


 がらがらと崩れ続ける鳳慈を見ないようにしながら、シンゲンが問う。


「あの時のこと、覚えてるか」

〈どの時のことや。とっくに忘れたわ〉


 およそ十年を跨いだ、在りし日。

 絶凍竜妃フォーマルハウトを筆頭とする五体の超過種。その過半数を討ち取り、まさしく名声の絶頂を誇っていた鳳慈。


 そんな彼は、ある日突然、討伐不可能クリーチャーに挑むと放言した。


 ──難度十ダンジョン九十階層フロアボス。

 終着の深淵、百階層へと繋がる道を護りし九つの厄災。

 フェリパ・フェレスの予知能力をして、人類が立ち向かうには百年かけても不足と見做された、恒星級の熱量を擁する次元違いの怪物達。


 当然、誰もが止めた。しかし鳳慈は頑なに意を曲げなかった。

 やがてはシンゲンとの一騎討ちにまで発展し、三日三晩続いた激闘の果て──世界最強の探索者シーカーは、那須殺生石異界にて指先のみ残し、自らの生に幕を閉じた。


 まるで。死を望んだかの如く。


「あの時……俺様が、お前に勝ってたら。お前は死にに行かなかったか?」

〈…………〉


 シンゲンは悔いていた。ずっと。


 斬ヶ嶺鳳慈は強くなり過ぎた。あのリシュリウ・ラベルですら衝突を避けたほどに。

 孤独だったに違いない。絶望したに違いない。


 誰も己とは並び立てないのだという、地獄に。


 故に夜毎、シンゲンは思うのだ。

 這ってでも追い縋らなければならなかった、と。

 自分の非力さこそが、無二の親友を独りにしてしまったのではないのか、と。


「凡次郎。俺様の所為で、お前は──」

〈老兵は死なず、ただ消え去るのみ。然らば老うよろこびを失くした戦さ人たる我が末路は、いっそ凄惨な死こそ相応しき〉


 ふと鳳慈が口遊む。

 他ならぬ彼本人が嘗て遺した、辞世の句を。


〈ウチは歳を取れへん。けどオマエは歳を取る〉


 崩れた氷が、水も残さず溶けて消える。

 腰から下は、既に余さず失せていた。


〈どのみち、ウチは逝ったよ。ダラダラ生きて、看取る側には、なりたくなかったんや〉

「……んだよ、そりゃ。随分勝手じゃねぇか」

〈せやね〉


 平時のシンゲンを少しでも知る者ならば耳目を疑うだろう、力無い声音。

 そこに如何な想いが篭められているのか、余人には推し量ること適わない。


〈なあ、万斉〉

「なんだ」


 ぴしりと、一際に鋭利な亀裂音。


〈……やっぱ、なんでもないわ。精々、達者でな〉


 シンゲンが次の言葉を返すより早く、微塵と帰す氷像。

 古ぼけた指骨が、からからとベンチを転がる。


「何年も経って、いきなり顔を見せたかと思えば。本当に勝手だな」


 骨を拾い、額に押し戴き、呟くシンゲン。

 やがて腰を上げると、肺の中身を吐き尽くし……首へ嵌めたスマホに触れた。


「キョウ。空いてたら今夜、いつもの店で付き合ってくれや。潰れるまで飲みてぇんだ」

〔し、シンゲ、助けっ! やめ、ダルモン、ステイステイステイッ!!〕

「取り込み中か。悪かったな、ジャッカル誘うわ」

〔ちょ、待──〕


 通話終了。

 キョウ絡みの灰銀は理屈が通じない。触らぬ神になんとやら、である。





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