583・閑話30
「こんにちわー」
五爪を別々の色で塗った指先が、インターホンを鳴らす。
「おじゃまします」
返事を待たず、鍵の掛かっていなかった玄関を開け、殆どノータイムで中へ。
ヒルデガルド・アインホルンは、こういう人間だった。
「ツキヒコー。リゼー。遊びに来たよー」
所謂、幽霊屋敷にカテゴライズされる、藤堂月彦及び榊原リゼの住まい。
オカルト関連を大の苦手とするヒルデガルドにとって特級の鬼門……なのだが、そこは喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプの彼女。幾らか間を置いては懲りずに足を踏み入れ、その都度悲鳴を上げている。
「──みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」
こんな風に。
「毎回毎回、鼓膜破れそうな勢いで叫ぶのやめて貰える? すっごい迷惑なのよね」
「だってぇ……」
廊下を這いずるナニカと目が合い、危うくレールガンを撃ち散らかす寸前だったヒルデガルド。
この悪霊が跋扈する呪家で、しかし決して化生が姿を見せないリゼの私室にて腰掛け、嗚咽を呑む。
「大体、何しに来たのよ。言っとくけど月彦なら昨日から留守──」
「うん? あれ、何これ」
かと思えば、関心惹く対象を見付け、けろりと気を持ち直す。
とどのつまり、単純なのだ。
「リゼ、こんなの持ってたっけ?」
視線の先には、ディスプレイ用のトルソーに着せられた黒いドレス。
細やかなリバーレース仕立ての、重ねても透けるほど薄地の衣装。
「わー可愛い! てかエロい! しかもベール付きってことは、もしかしてウェ──」
伸ばしかけた手。
けれど、その動作は寸前で止まる。
──正確には、止めざるを得なかった。
首筋へと添わる、裁ち鋏の硬く冷たい感触によって。
「それに触ったら、本気で殺すから」
「…………そう言えば知ってる? 二週間くらい前、太平洋沖で物凄い爆発があったんだって。いやー物騒、世紀末だねー」
ホールドアップ、からの露骨な話題逸らし。
冗談抜きに命の危機を感じたのか、浮かべた愛想笑いは引き攣り、顔色に至っては青褪めていた。
「ところでツキヒコ、どこ行ったの?」
土産の菓子でどうにか機嫌を取り、一旦の収拾をつけた後、ヒルデガルドが問う。
「さあ。知らない」
なんとも気の薄い返答。
先程の件を腹に据えかねている……ワケではなく、本当に知らないのだろう。
「ま。どこに向かったかは大方見当がつくけど」
呟き、手元に置いた腕輪型端末へと触れ、プライベートチャットルームに残ったメッセージを網膜投影させるリゼ。
そこには簡潔に──『修行の旅に出る』とだけ、記されていた。
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