575・Rize






 歯を食い縛るように、梅唯が身を起こす。

 どうにか立ち上がろうと片膝をつき、その体勢のまま、深く呼吸を繰り返す。


「意識こソ無かったが……私が倒レてからの事態は、些細漏らサず識ってイるぞ」


 頭上に陽光が差す。

 崩れつつも辛うじて形を留めていた断絶領域が、勢いを増し、溶け落ちる。


「驕り高ぶりモ甚だシい。よもや、あノ女に挑むなド」


 吹き込んだ海風が、髪を撫でる。

 生ぬるい、嫌な風が。


「……Dランキング一位、リシュリウ・ラベル」


 濃い、吐き気を催すほど濃い、血の匂い。


「世界最強ト目されし探索者シーカー集団、ブラックマリアの首魁」


 聴こえるのは耳を刺すサイレンと、何かが軋んで崩れる音だけ。

 戦いの気配は、窺えない。


「現イギリス政権を実質的に牛耳ル、影の女王」


 視界が、拓ける。


「黒い噂の絶えン、全く信頼の置ケん女だが……豪腹なコとに、力ダけは本物だ」


 見晴らしの良い、沈みかけた船上。

 傾きは格段に酷くなっていて、あと幾許も保ちそうにない有様。


「如何なル軍も、如何ナる戦力も……彼の六趣會すらモ」


 ──そんなことは、どうでも良かった。


「嘗テの頂点、斬ヶ嶺鳳慈亡キ今」


 を目にして、けど、頭が理解するまで、時間が必要だった。

 もしも冗談なら、あまりにタチが悪い。


「アの理を外レた化け物には、誰も勝てン」


 それでも。叶うのなら、どうか冗談であって欲しかった。






「なかなか、でした、ね」


 息も乱さず、静かに告げられた声音。

 私と大差ない細腕で首を掴み、軽々と持ち上げた長躯。


「嘘」


 女隷でも啜り尽くせないほど夥しい血で青く濡れた月彦。

 ピクリとも動かない、魂の揺らめきが視えなければ死体と錯覚しただろう惨状。






 それは火を見るよりも明らかな──敗者の姿だった。





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