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「今夜七時に演奏予定の藤堂です」
さるホテルのフロントで、そう告げる。
つい昨日届いた、二通目のメールに記された符丁。
最早、不審を隠す気も無いらしい。釣り針を呑んだと判じられたか。
その通りだとも。
ちなみに俺は楽器なんぞ、ほぼほぼ触ったことすら無い。
忘れがちだが生まれも育ちもお嬢様なリゼはピアノが弾ける。きらきら星が神懸かりに上手い。
閑話休題。
「此方を」
ホテリエにカードを一枚、手渡される。
サイズは名刺程度。表裏共に白紙。
だが、微細な凹凸で、何か記してある。
「行くぞ」
「りょ」
踵を返し、入ったばかりのホテルを早々に発つ。
今時珍しい回転扉を抜けてすぐスマホを取り出し、リゼに投げ渡す。
「ケーサツに電話」
「もしもしポリスメン?」
あのホテリエ。十中八九、従業員ではない。
本物と思しき輩は──首を掻き切られ、カウンターの陰で死んでいた。
「割と強そうだったし、みすみす捕まるとも思えんが、一応な」
「要は、ただの嫌がらせでしょ」
過去を差し替え、通話記録を消す。
痕跡は消さなかったため、応対した警官の記憶だけ、そのまま残る。
五分後には出入り口に黄色いテープが張り巡らされていることだろう。
「ねえ月彦」
と。何やら渋い表情のリゼが、横目で俺を捉える。
ワッツアップ。
「スナック感覚で殺人やらかすような連中の誘いを、本当に受ける気?」
「もち」
然程の問題でもないだろ。俺だって地元住まいの頃には人くらい殺してる。
あ、いや。たぶん殺ったことは無かった、筈。
……どっちでもいいか、別に。
蹴散らした相手の生死を逐一と確かめるほど物好きじゃねぇから、正味よく分からん。
甲高いパトカーのサイレンが響き始めた街角。
適当なベンチに腰掛け、再びカードの表面を撫ぜる。
コンマ一ミリにも満たない刻印。
点字慣れした視覚障碍者でも分からんぞ、こんなもん。
「数字とアルファベット。御丁寧に暗号化されてやがる」
しかも二重三重で。
取り敢えず空間投影ディスプレイに字面を打ち出してみたが……解読とか超めんどくせぇ。
どうしよう。帰ろうかな。
「貸して」
やる気が萎えかけたところ、リゼが暗号内容を何処かへ送った。
その数十秒後。答えと思しきデータが、あっさり手元に返る。
「何したんだ、お前」
「クレス大叔母様に見せただけよ」
成程。流石だぜカルメン女史。
はてさて。無事、暗号も解けたワケだが。
「こいつァ座標だな。緯度と経度」
しかし、これは。
「太平洋の真っ只中じゃねぇか」
直径二千キロばかり、海以外に何も無い地点の筈だぞ。
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