549






「今夜七時に演奏予定の藤堂です」


 さるホテルのフロントで、そう告げる。


 つい昨日届いた、二通目のメールに記された符丁。

 最早、不審を隠す気も無いらしい。釣り針を呑んだと判じられたか。

 その通りだとも。


 ちなみに俺は楽器なんぞ、ほぼほぼ触ったことすら無い。

 忘れがちだが生まれも育ちもお嬢様なリゼはピアノが弾ける。きらきら星が神懸かりに上手い。


 閑話休題。


「此方を」


 ホテリエにカードを一枚、手渡される。

 サイズは名刺程度。表裏共に白紙。


 だが、微細な凹凸で、何か記してある。


「行くぞ」

「りょ」


 踵を返し、入ったばかりのホテルを早々に発つ。

 今時珍しい回転扉を抜けてすぐスマホを取り出し、リゼに投げ渡す。


「ケーサツに電話」

「もしもしポリスメン?」


 あのホテリエ。十中八九、従業員ではない。

 本物と思しき輩は──首を掻き切られ、カウンターの陰で死んでいた。


「割と強そうだったし、みすみす捕まるとも思えんが、一応な」

「要は、ただの嫌がらせでしょ」


 過去を差し替え、通話記録を消す。

 痕跡は消さなかったため、応対した警官の記憶だけ、そのまま残る。

 五分後には出入り口に黄色いテープが張り巡らされていることだろう。


「ねえ月彦」


 と。何やら渋い表情のリゼが、横目で俺を捉える。

 ワッツアップ。


「スナック感覚で殺人やらかすような連中の誘いを、本当に受ける気?」

「もち」


 然程の問題でもないだろ。俺だって地元住まいの頃には人くらい殺してる。

 あ、いや。たぶん殺ったことは無かった、筈。


 ……どっちでもいいか、別に。

 蹴散らした相手の生死を逐一と確かめるほど物好きじゃねぇから、正味よく分からん。






 甲高いパトカーのサイレンが響き始めた街角。

 適当なベンチに腰掛け、再びカードの表面を撫ぜる。


 コンマ一ミリにも満たない刻印。

 点字慣れした視覚障碍者でも分からんぞ、こんなもん。


「数字とアルファベット。御丁寧に暗号化されてやがる」


 しかも二重三重で。

 取り敢えず空間投影ディスプレイに字面を打ち出してみたが……解読とか超めんどくせぇ。


 どうしよう。帰ろうかな。


「貸して」


 やる気が萎えかけたところ、リゼが暗号内容を何処かへ送った。


 その数十秒後。答えと思しきデータが、あっさり手元に返る。


「何したんだ、お前」

「クレス大叔母様に見せただけよ」


 成程。流石だぜカルメン女史。






 はてさて。無事、暗号も解けたワケだが。


「こいつァ座標だな。緯度と経度」


 しかし、これは。


「太平洋の真っ只中じゃねぇか」


 直径二千キロばかり、海以外に何も無い地点の筈だぞ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る