550・u-a






 瞬膜フィルターで右眼を覆う。

 掌で塞いでいた左眼を開く。


「は」


 唇の隙間から独りでに溢れ出る吐息。

 頬を拭えば、ひと筋の冷たい滴。


 …………。

 人造の躯体に、わざわざ涙を流すこんな機能まで与えずとも、良かったのに。


「……大丈夫……大丈夫……」


 喉元まで込み上げる、吐き気にも似た怯えと怖れを押し殺す。


「大丈──ッッ」


 いつものこと。

 臆病な私は、いつもこう。


 この先で何が起きるか識っていて。

 その顛末も識っていて。

 なんなら、成すべき行動も理解わかっている。


 なのに。或いは、だからこそ震えて、泣いてばかり。


 …………。

 何より此度の一件は、遡れば私が意図的に引き起こした、引き起こさざるを得なかった事態。

 然らば余計に嗚咽が溢れて、止まらない。


「ぅ……う、ぅっ……」


 私は。彼女のようには、なれない。

 目の前で喪うかも知れない恐怖を抑え込んで、あの人の側に寄り添っている、榊原リゼのようには。


「お願い……お願いだから、無事に……」


 凶暴と享楽の化身。

 極点の才と無窮の精神を兼ね備えた魔人。


 あの人の強さは理解わかっている。

 あの人の才覚は理解わかっている。


 でも同じくらい、あの人の薄氷じみた危うさも識っている。


 そして今回は。あまりにも相手が悪過ぎる。


「あんな、バケモノ……!!」


 白亜の超越者。

 杖音と共に歩く不条理。


 ──蒼血の女王。


 かの悪魔は、世界に数十人が、タイプ・ブルー達にとっての天敵。

 降すことも凌ぐことも、不可能と同じ。


 矛を交えれば九分九厘、殺される。


 根源的なと、根本的なゆえに。






 だからこそ。言うなれば人身御供に等しい思惑で、適役と呼べる雪代硝子を送り込んだ。


 もしもの時、万が一の時は──あの人の代わりに死んで貰えるように、と。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る