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「月彦。お腹空いたわ」

「あァ?」


 藪から棒にリゼが告げる。

 飯なら、さっき食ったばかりだろ。メガ盛りパスタと四ポンドステーキ。


 ……まあ仕方ないか。直に骨肉を削る『呪胎告知』は勿論のこと、正味『空間斬』も繰り出す都度、結構な消耗が伴う。

 そこにスキルの影響による体質変化、常人の数倍を回る基礎代謝も加わるリゼは、俺より燃費が悪い。


「つーきーひーこー」

「あーあー、分かった分かった。ちょい待――」


 ――それは。あまりにも唐突だった。


「ぅ」


 背中に氷柱を差し込まれただの、心臓を鷲掴みにされただの、そういう陳腐な喩えを千万と積み上げたところで到底表しきれぬ、名状し難い情動。

 警戒とか、臨戦態勢とか。そんな悠長を差し挟む余裕さえ、まるで無かった。


「ぅぅぅぅるるるるるる」


 四つ足で構え、樹鉄刀を抜剣。選んだ形態は『縛式・纏刀赫夜』。

 更には『豪血』と『鉄血』を並行発動。双方共々『深度・弐』へ移行。


 …………。

 否。否否否否否否否否否否。

 まるで足りない。こんなものでは、全く。


「――『深度――」

「月彦」


 目の前で屈み込んだリゼと、視線が合わさる。

 顔まで覆った樹鉄越し、そっと頬を撫ぜられる。


「お腹。空いたわ」

「……………………ああ」


 赤く赤く染まった視界セカイが。引き潮の如く、凪いで行った。






「よく気付いたものだな。ここから軽く十キロは離れているのに」


 感心半分、呆れ半分といった塩梅で、ジャッカル女史が呟く。


「どうなってるんだ、君の間合いは」

「……いくらなんでも、まだ範囲外さね。普通ならな」


 直接、完全索敵領域へと触れたワケではない。流石に遠過ぎる。

 無造作に漂う微かな残り香が、ほんの少し知覚を掠めただけ。


 ただそれだけで、闘争本能を剥き出しにさせられた。

 笑える。笑え過ぎて吐きそう。


 ともあれ。


「あっちに在るんだな。九十階層が」


 そして居るのだな。那須殺生石異界九十階層フロアボス――最高位ダンジョンの最奥に至らん廓を護りし番兵、九種を数える討伐不可能指定クリーチャーが一体、白面金毛九尾の狐が。


「世界最強の探索者シーカーですら敗れた、殆ど神仏の側に立つバケモノ」


 公開された情報は非常に少なく、特殊なスキルを介した、幾つかの映像記録が残るのみ。

 明確なのは姿形と、恒星にも匹敵する莫大なエネルギーを保持しているという、馬鹿げた事実だけ。


「ハハッハァ」


 胸の内で猛り狂う感情に呼応し、核式へと戻した樹鉄刀が脈打つ。


 併せ――名残惜しくも、踵を返した。


「時間取らせて悪かったな。先急ごうぜ」

「む。意外だな、てっきり君は向こうに行きたがるものとばかり」


 寸前まで俺が見ていた方を指差すジャッカル女史。


 ……そういう気持ちが無いと言えば、嘘になる。

 寧ろ、何もかも擲ち、全て放り捨て、駆け出したい。


 が。生憎、今回は、お預けだ。


「九十階層には近寄らない。約束したからな」


 傍でチョコバーを齧ってたリゼの肩を抱き寄せる。

 樹鉄刀を嵌めたままだったのが気に召さなかったのか、物言いたげに睨まれた。





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