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 空間に穿たれた穴を跨ぎ、抜け出る。


 そこは直径数百メートルの矮小な世界。

 しかし坐すのは、まともに進めば人の足で二十日は要する広大なダンジョンを統べる、強大な長。


〈……随分、珍妙ナ客ガ来タノウ〉


 夜天の下をポツンと飾る玉座に掛けた裸身の女。

 側頭部には髪を掻き分けて伸びる一対の角。四肢には鋭利な鱗と、見るからに強靭な爪。


〈フフフ……ドウカシタカ?〉


 瞳孔が縦に裂けた双眸と視線が合わさるや否や、思考が霞む。

 今までも何度か味わったことのある感覚。ヤバい魅了チャームだ。


 ちょ、おい待てコラ、ダンジョンボスが魅了チャーム使えるとか、ふざけん――


「気付けネコパンチ」






 軍艦島の八尺様然り、青木ヶ原天獄のスカディ然り。

 ダンジョンから直接エネルギーを供給されるボスクリーチャーは、その膨大な熱量が妨げとなって、女性型であろうと魅了チャームを使えない。基本的に。


 そう。世に例外は付き物。

 ちょっと油断。反省。いやまあ、心持ちでどうこう出来るもんでもないが。


 に、しても。


「キッチリ効くじゃないの魅了チャーム

「バッチリ効きやがったな魅了チャーム


 ちくしょうめ。耐性が付いたワケではなかったのか。

 でも当然っちゃ当然。状態異常完全無効化のスキルさえ貫通する悪辣な魔法を、慣れだの気合いだので防げたら世話無い。


 だが、じゃあ結局リゼの『魅了チャーム(仮)』は何故効かなかったんだ。あくまでクリーチャーの魔法とは別物だからか?

 でもヒルダに出た効果を振り返るに、根本的な性質は同じと思えたが。


 …………。

 ま、いいか別に。どうでも。


「折角のお楽しみタイムだ。小難しい考え事で上の空なんざ、勿体無さ過ぎるぜ」


 再びクリアとなった感覚が、相対する人型竜の強さを詳らかに俺へと伝える。


 強い。事前調査によれば半月前リポップしたばかりで、残念ながら相当な弱体化を感じられるものの、その状態で尚、スカディより遥かに強い。流石、難度八のダンジョンボス。

 天獄のミノタウロス――『アステリオス・ジ・オリジン』と命名した彼に出会う前の俺なら、百回のうち九十五回は一方的に嬲られた末の相討ちへと持ち込むのが漸くだったろう。


 ……然らば、今ならどうか。

 あの素晴らしき闘争を永らえ、より深い領域を拓き、新たな牙を携えた、今の俺なら。


「リゼ。奴さんの名は」

「『絶凍竜妃ぜっとうりゅうきフォーマルハウト』」


 カードゲームのモンスターかよ。誰だ考えた奴。

 語呂は良いが、微妙に俺の好みに合わん。


「あー、んん……いきなり、ずかずか踏み込んで悪いな。まずは謝罪を受け取ってくれ、ドラゴンクイーン・フォーマルハウト」


 ともあれ強敵への敬意を篭め、深く頭を下げる。

 アイサツは大事。古事記にも書いてある、らしい。


「そんで失礼ついでに、だ。今から殺し合う誼みで、ひとつアンタに頼みがある」

〈ホウ、賊ニシテハ殊勝ナ振ル舞イヨノ。ヨイゾ、許ス。申シテミヨ〉


 快諾を得、樹鉄で覆われた両掌を擦り合わす。

 単純な金属音とは異なる寒々しい響きの後、地に手を突くほど低く構え、口角を吊り上げた。


「ひとまず『参』も『赫夜』も使わねぇから、あっさり死なないでくれ。そのエロい身体を見せびらかすだけが能だとは思われたくねぇだろ?」

〈クフフッ――不届キ〉





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