285
すっかりと陽も傾いた夕暮れ時。
ヒルダが締め括りにと選んだ観覧車から、橙に染まった周囲の景色を一望する。
「今日はありがとう二人とも。とても楽しかったよ」
「そーかい。ならこっちも車出した甲斐があったってもんだ」
ついでに言うなら、物理的に振り回された苦労も報われる。
「ツキヒコが運転出来て助かったよ。しかも上手だし」
ハンドル握るの、たぶん今日で通算五回目くらいだけどな。
「……ねえ。そう言えば、アンタの免許証って偽造じゃなかった?」
何言ってんだコイツ。
「あんな出来の悪い冗談、まだ真に受けてたのか? 偽造免許証なんざ誰が売ってくれるんだよ、正規の手段で取ったに決まってんだろ」
大学入ってすぐの頃、暇を持て余してた際に免許センター前を通りすがり、気まぐれと退屈凌ぎで試験を受けたのだ。
車の運転をしたのは正真正銘あの時が初めてだが、超簡単だった。
「リゼも案外、騙されやすいのな」
「…………」
踏むな踏むな、謝るから足を踏むな。
「あの、さ」
狭いゴンドラ内でのマシンガンが如き踏み付けを回避するため姫抱きにしたら、何やら大人しくなったリゼ。
毎度ながらバカ速い鼓動に首を傾げていると、不意にヒルダが声をかけてきた。
「ドイツに帰った後も、時々連絡を入れていいかな?」
夕陽以外の理由で赤みが差した頬、遠慮がちな笑み。
どちらかと言えば傍若無人な気質の持ち主が見せる珍しい表情に、少しばかり目を瞬かせる。
「? 提案の意図が読めねぇぞ」
「あははっ。そりゃ大層な考えなんか無いからね」
脚を組み替え、深く静かに吐息するヒルダ。
微かな強張りを湛えた眼差しで、窺うように俺達を見据えた。
「その日の出来事とか、ちょっとした冗談とか愚痴とか。そういう他愛ない話に、もし良ければ付き合って欲しいんだ」
段々と握られる拳。尻下がりに窄んで行く口舌。
俺とリゼは互いに顔を見合わせ、疑問符を浮かばせつつも、軽く頷き合う。
「妙な頼み事する奴だな。ま、いいぜ別に」
「以下同文。てか好きにすれば? そんなの、いちいち許可とか要らないでしょ」
そう返した数拍後。呆けていたヒルダが、ふと俯き、下唇を噛んだ。
握り締めた両拳を肩ごと震わせ、観覧車が天辺へと到着するまで黙りこくり、やがてゆっくりと顔を上げる。
「ありが、とう」
掠れた鼻声で紡がれる、辛うじて聴こえた、小さな謝意。
「
そっとひとつ、滴が落ちる。
「恋人は何人も居るけど、これは初めてだ」
幼い少女のように泣きながら、ヒルダは笑っていた。
「生まれて初めてだよ。友達が出来たのは」
この数日後に帰国したヒルダは、以降、日に一度は俺かリゼに電話をかけるようになった。
しかも一回、平均一時間。いくらなんでも喋り過ぎだ。
あと時差考えろや。お前、夜中の二時て。
指摘したら時間帯だけは改めたけど。よく話題が尽きないもんだな。
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