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終わった。
ミノタウロスは死んだ。倒した。殺した。
奴との最後の交錯を、言葉や文章で理路整然と纏めるのは難しい。
何せ『深度・参』とは、まさしく理屈の外に在るようなチカラだったのだ。
物理法則から完全に剥離し、時間の流れと空間の形さえも捻じ曲げるほどの身体能力。
お陰で攻撃の前にダメージが先んじて届いたり、真っ直ぐ突き出した筈の拳が妙な軌道を描いたり、近付くために踏み込んだら逆に距離が離れたりと、事象の順序も整合性も滅茶苦茶。
光速すら遥か凌ぐだろう速度自体も併せ、とても人間に認識出来る領域じゃなかった。
であれば何故、俺が自分自身を見失わず済んだのか。
その要因は、勿論のこと身体能力同様に引き上げられた感覚能力もあるが――恐らく骨子は『ウルドの愛人』による恩恵だろう。
過去を差し替える前段階、即ち過去視。
習得者の視力に応じ、有り得たかも知れない可能性を見通すチカラ。
俺は戦闘に於いて『ウルドの愛人』を使わない。興が醒めるから。
けれども、この過去視という特異な識覚が事象認識に対する見聞覚知の拡張を果たし、『深度・参』状態での活動を援けてくれたワケだ。
スキルってのは、どういう時、どういう形で役に立つか分からん。
まあ兎に角、非常に得難い経験だったし、すこぶる楽しかった。
残念ながらミノタウロスは、まるっきり『深度・参』の俺を捉えられなかったが、そこは次回以降のまだ見ぬ強敵に期待しよう。
…………。
などと未来の展望を想い描くのも良いが。実は現在、割と重篤な問題を抱えてたりして。
――動けねぇ。
内在エネルギーの枯渇によって待機形態へと戻り、足元を転がる樹鉄刀。
それを拾い上げるどころか身動ぎひとつ出来ず、だらりと猫背で佇む俺。
ひどく浅い呼吸。蚊が鳴くような虫の息。
正味、赤ん坊に押されただけで倒れそうな疲弊具合。
失血死寸前まで削れた血と、指先ひとつ曲げられないほど搾り尽くした体力。
いくら五分近い『深度・弐』――しかも赤青並行――の直後だったとは言え、そこから『深度・参』を使ったリアルタイムは恐らく十万分の一秒足らずにも拘らず、このザマ。
やはり、おいそれと人間が踏み入っていい領域じゃなかったか。
あーヤバい、意識飛びそう。
でも今ここで気絶したら、たぶん二度と目覚められない。
勘弁。折角、新しいオモチャを手に入れたんだ。
こいつを思う存分に振るえる相手と出会うまでは、まだ生きていたい。
そんな一心で、視界の端より押し寄せるブラックアウトに抗うこと暫し。
とうとう耐え兼ね、大きく傾いた身体を――ギチギチにベルトを巻いた細腕が支えた。
「飲みなさい」
短く静かな台詞と、唇に押し当てられる
ダンジョン産の薬剤で製された、極めて吸収率の高い栄養剤を嚥下し、ガス欠の五臓六腑に染み渡らせる。
「……おー。悪いな、リゼ……助かったぜ」
「ん」
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