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〈コレガ痛ミカ。初メテノ経験ダ、面白イ〉


 今の今までずっと、ただ呻きを撒き散らすばかりだった喉が奏でる


〈ロクニ持テ成シモセズ済マンナ、客人。アマリニ永ク退屈ガ続イタ故、ツイ呆ケテイタ〉


 重く低く、しかし確かな理知を含んだ口舌。

 反面、漂わせる覇気は明らかに増し、空気が粘土にでもなったみたいな息苦しさに襲われる。


「ッ」


 正直な話、耐えるので一杯一杯。例えるなら表面張力限界まで注がれたグラスか。

 あとほんの少し何かが入れば……俺は堰を切った高揚と興奮のまま、勝算もリスクも全部ぶん投げてコイツへと襲い掛かるだろう。

 それを止めるリゼも、今は力尽きて眠ってる。


〈猛ッテイルナ。視エズトモ分カルゾ、気狂イジミタ殺気ヲ〉


 尤も、ひとつは風前の灯火のようだが。

 そう続いた言葉尻と入れ替わりで、激しい咳き込みと水音が耳朶を打った。


「げほっ! ごぼ、ごほっ、ごぼっ!!」


 意識を正面に残したまま振り返れば、横倒れに身体を丸め、ドス黒い血塊を吐き出すヒルデガルドの姿。

 文字通り全てを篭めた一撃だったのだろう。既に『空想イマジナリー力学ストレングス』の力場は解かれ、七尾もぐったりと石床を這い、弱々しく蠢くばかり。


 そんな有様になろうと、その緑のから戦意は微塵も抜けず、ミノタウロスを見据えているのは賞賛。

 が……戦闘続行は無理だろう。


「結局最後はタイマンか。望むところだけどな」


 足幅を広げ、極端な前傾姿勢を取る。

 踏み締めた爪先が床を削り、現コンディションで最適なスタートポジションを形作る。


「ぅるるるる」


 鼓動を強める心拍、半ば独りでに溢れる唸り声。

 血が煮える。暴力以外の思考が潰えて行く。


「るうぅ、ふうぅぅ、ふううううッ」

〈フム。我ガ初陣ノ敵手ハ獣カ。デアレバ此方モ、相応ノ力ヲ使ワセテ貰オウ〉


 激情が視界すら歪ませ始めた中。ミノタウロスの様子が、更に変貌する。


〈ムウゥ……!!〉


 眉間を奔った一本の裂け目。

 割れた内側から覗いたのは、濁った金色の眼球。


 次いで筋肉が膨張。ひと回り増した体躯。

 途端、痛むほどに肌を刺し貫いた暴威の匂いを鑑みれば、虚仮威しでないのは明白。


〈サア。宴ノ時間ダ、来ルガイイ〉


 分厚くも先端の尖った五爪が生え揃う指で、俺を手招くミノタウロス。


 限界だった。何もかも。


「――ハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」


 足元が爆ぜる勢いで駆け出す。

 五体五感に漲る力の全てを用いて、ミノタウロスの喉笛に迫る。


「ひとつ! 言っておく!」


 最後の一歩で震脚を打ち、蜘蛛の巣状の亀裂が八方を泳ぐ。

 そのエネルギーを余さず使い、肌に赤光、樹鉄に青光伝う腕を引き絞り、拳を放つ。


 階層全体へと弾ける、ミサイルも凌ごう衝撃と轟音。

 背後のリゼには届かないよう気を遣ったが、ヒルダはモロに煽られ、ごろごろと転がって行った。

 めんご。


〈ヌ、オォッ〉

「俺が剣を使ってた理由の半分は、硬化と強化を同時に出来ねぇ『双血』の性質との兼ね合いだ」


 ガードごと壁まで押し込まれ、深くめり込む巨体。

 腱の一本くらいはか。擦り傷も甚だしいが、改めての挨拶としちゃ手頃な塩梅だろ。


「単純な技量で言えば――素手の方が倍は強いぜ?」





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