270・Rize






 激毒の尾が腐った傷口から体内へと潜り込み、骨肉と臓物を屠り、背中まで続く風穴を穿つ。

 そんな一部始終を捉えた私は、殆ど朦朧としつつも勝利を確信した。


「さあカーテンコールだ、盲の家畜め」


 血だらけの傷だらけ。ボロ雑巾と大差無い有様で上下逆さまに浮かび、蕩けた笑みを晒すヒルデガルド。

 併せて脈打つ七尾。ミノタウロスの体内へと送り込まれる七毒。


「強者への敬意を表し、髄液が枯れ果てるまで注いであげよう」


 ヒルデガルドから聞いた話だと『ギルタブリル』の毒は混ざれば反応し合い、複雑かつ急激な変化を繰り返すらしい。


 抗体を得るより早く、性質が変わる毒。

 感染者の弱所を食む、悪意を孕んだ毒。


〈オオオオ、オオォォォォッ〉

「……終わり、ね」


 爆ぜる苦悶の悲鳴。

 いくら私の呪毒すら命に届かないバケモノでも、ダメージが積み重なった今なら耐えられまい。


 緊張の糸が緩み、臥せかけた身体を、どうにか支える。

 ゆっくりと座り込み、深く深く息を吐く。


 …………。

 ああ。こんな状況をこそ、まさしく、こう呼ぶのだろう。


 ――油断大敵、と。


〈オオオオオオオオォォォォォォォォッッ!!〉

「なっ」


 石床に膝を折り、頭を垂れ、今にも崩れ落ちそうだったミノタウロス。

 それが突如、息を吹き返し、立ち上がり、吼え散らし、些かも衰えてない膂力で以てヒルデガルドを殴りつけた。


 

 そうした小芝居が打てる程度には悪知恵が働くことを、一瞬とは言え忘れていた。


「う、ぐ、づぅ……!?」


 思いもよらない反撃。しかし咄嗟に引き抜いた尾で防ぐヒルデガルド。

 けれど、元々の消耗具合も加わり、大きく退かされてしまった。


〈オオオオォォォォッッ!!〉


 その間隙を縫い、何も視えていない筈にも拘らず、正確に私目掛けて駆けるミノタウロス。

 胸に空いた大穴など擦り傷と言わんばかりの俊敏さ。

 馬鹿げてる。心臓を貫いても、数多の毒を注いでも、まだ足りないなんて。


「アスト、ラル」


 満足に動けず、回避も防御も出来ない私が選べた抵抗手段は、苦し紛れの『幽体化アストラル』発動。


 僅か四半秒。直撃すれば全身の骨が残らず砕ける威力の剛腕を、一度だけ、すり抜ける。

 そこが限界だった。既に放たれる寸前の二発目を凌ぐ手段を、私は持ち合わせていなかった。


 だから。


「あとは……任せる、わ」

「おう。任された」






 重く鋭く、寒々しい金属音。

 ミノタウロスの拳を、横合いから弾いた音。


「……分っかんねぇかなー」


 毒気の抜けるような、まるで気負いの無い呟き。


「そりゃあリゼは俺達の中で一等に厄介で、一番に倒し易い。隙あらば狙いたくもなる」


 ギャリギャリと、足裏が石床を引っ掻く反響。


「六十階層の陰湿デカ女といい、てめぇといい。そこまで分かってるのに、なんで分っかんねぇかなー」


 一九〇センチ以上の体躯を歪な輪郭で浮かび上がらせる、の燐光。


「――そいつぁ逆鱗踏んでるのと同じだ、ってよォ」


 樹鉄刀を月彦が、ミノタウロスと相対する。

 その背中に無条件の安堵を感じながら……私は、静かに目を閉じた。





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