263・Hildegard






「ツキヒコ、あのままじゃ死ぬよね」


 劈く咆哮と笑い声、けたたましい戦闘音に差し挟む形で呟く。


「あんなに激しく動き回ってるのに、キミより血色が悪い」


 血を磨耗し過ぎてる。何度呼吸を重ねても、ロクに酸素が巡ってない。

 おくびにも出さないけれど、相当な疲労感と倦怠感がある筈。

 普通なら、いや普通じゃなくても、既に立つことさえ辛かろう。


「糸が切れたように失速するか、集中が底をついて致命的な悪手を指すか。どちらにせよ天秤が崩れるのは時間の問題だ」


 そう告げると、リゼは険しい表情で視線をツキヒコに注いだまま、ナイフと大鎌の柄を強く握り締めた。


「単刀直入に尋ねよう。キミは僕に何を求めてるのかな?」

「……時間稼ぎ」


 苦薬でも塗りたくったような口舌。

 此方が思い浮かべていた語句を過たず紡いだ後、彼女は一瞬だけ、私の肩口に目を遣った。


「嫌なら、断ってもいいけど」

「優しいね。でも心配は無用さ」


 言葉尻のあたりで『空想イマジナリー力学ストレングス』を発動させ、コートを脱ぎ払うと同時、頭ひとつ分だけ宙へと浮く。

 ダメージは抜けた。もう万全に動ける。


「そも、本気で戦う時は義手を外すんだ。邪魔になるから」


 一命の借りはキッチリ返す。

 否。そんな理由など無くとも、戦ったに違いない。


 何故ならアレを斃し、このダンジョンを攻略し、名と金を得るために、私は日本を訪れたのだから。


 何より、このまま黙って成り行きを見守ろうものなら――頭を掻き回す憤懣と怨嗟で、脳髄が焼け焦げてしまいそうだから。






「ああ。畜生が」


 もし義手を繋いだままなら、きっと喉を掻き毟っていただろう。


「二本足で歩き回る芸を仕込まれた家畜の分際で。よくも僕に恥をかかせてくれたな」


 スパーク音に似た鋭利な響きが、バチバチと空気を弾く。

 精神エネルギーを糧とする『空想イマジナリー力学ストレングス』が、激情を受けた際に起こる現象。


「許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」


 今にも心臓が千切れそうなほど、早く、強く、拍を刻む。


 これを齎す源泉は、殺されかけたことへの怒り……ではない。

 もっと単純で、もっと明快な、子供の駄々にも等しい感情。


 そう。


「僕に勝つなんて。僕よりも強いなんて、許せない」


 ――私は、私よりも上の存在というものが、ただ只管に、耐え難いのだ。


 だって。


「力しか無いのに。強さしか無いのに。僕には他に何も無いのに。たったひとつの拠り所さえ取り上げるつもりか」


 欲と感情の抑えが利かず、他人の痛みに関心を抱けないという精神的欠落。

 必然、世間が定めた枠組みに収まれず、関わってきた多くの相手に疎まれてきた。

 血を分けた姉すらも、心の底では私を怖れている。


「殺す」


 力だけが、強さだけが、人としての色々なものを取り零したヒルデガルド・アインホルンの持って生まれた美徳。

 全ての身勝手を許される、絶対的な免罪符。

 厭悪が畏怖と称賛に変わる、血塗れの引換券チケット


 故にこそ。その唯一無二で他に劣るなど、考えただけでタガが外れる。


「『ピーカブー』封鎖――『凪の湖畔』封鎖――『ヘンゼルの月長石』封鎖――」


 リゼにもツキヒコにも教えていないスキル『捨身飼虎』を使う。

 現状、不要な三つのスキルをし、リソースを作る。


 次いで。真打を抜いた。


「嬲れ。犯せ。蹴散らせ」


 鼓膜に障る不快な金属音が、寒々しく鳴り渡る。


 併せて両脚へ纏わりつく、蟲の甲殻を思わせるブーツ。

 背中の布地を皮膚ごと突き破って伸びる、百足と蠍を合わせたような七本の尾。


「ぐっ……」


 神経を鋸引きされるも同然の激痛に、歯を食い縛る。

 吹き溜まる怒りは益々募り、纏う力場が荒れ狂う。


「……く、たばれぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」


 声の限りに吐き散らした罵声。

 最早、敵以外の何も見えなくなった私は、それ目掛けて飛ぶ。


 そして。拳でツキヒコの木剣と迫り合い、隙だらけだった脇腹に――七本の尾を、纏めて叩き付けた。





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