260・Hildegard






 ………………………………。

 ……………………。

 …………。


 ――痛い。


 何も視えず、何も聴こえない闇の中。

 ただ痛みだけが、朧な意識を喰む。


 ――どうなった?

 ――どうなってる?


 思慮が定まらない。考えが纏まらない。

 何故、自分がこんなことになっているのか、分からない。


 一体、私は――そもそも、私は――生きているのか?






〔また壊したのか。ヒルダ〕


 唐突に。声がした。


 何も視えないまま、何も聴こえないまま。

 音と景色が、五感より深い部分へと染み込んできた。


〔幾つ壊せば気が済むんだ〕


 首の取れた人形を抱えて俯く、幼い少女。

 誰、などと問うまでもない。昔の私だ。


〔どうして、お前はなんだ〕


 失意と落胆の眼差しで私を見下ろす男。

 血縁上、父親と呼ぶべき相手。


〔どうして、普通に出来ないんだ〕


 普通。

 数年前、母の自殺を機に心を病み、やがて姉さんに手を出そうとしたため半死半生の目に遭わせた後、逃げるように姿を消すまで、この男は何千回とそれを強要してきた。


 否。こいつだけに限った話じゃない。


〔アインホルンが同級生に大怪我を――〕


 情景が移り変わる。


〔十歳のガキが四十キロのドーベルマンを絞め殺した――〕


 星が瞬くように、転々と。


〔おい! なんだあの戦い方は!? こっちまで巻き込まれ――〕

〔聞いたか、アーベルんとこのパーティ。ヒルデガルド以外、全滅したって――〕

〔出て行きやがれ! 二度と顔を見せるな、疫病神め――〕


 鬱陶しい記憶ばかり、延々と。


 ――なんなんだ。


 どれもこれも、思い返すに不愉快なスクリーン。

 私を狭苦しい箱の中に押し込めようとする、忌々しい場面の羅列。


 ――なんで今更、こんなものを見せられている。


 混じり始める苛立ちのノイズ。

 激昂のまま引き裂いてやろうにも、伸ばせる腕は無い。


 なんなんだ。なんなんだ、本当に。

 苛つく。苛つく、苛つく、苛つく苛つく苛つく苛つく苛つく――


 ――――ああ。そうか。


 はたと、理解した。


 ――これ、走馬燈だ。






 映し出される景色が、また切り替わる。


〔邪魔だぜヒルダ、そいつは俺の獲物だ。どけ、死んでも知らねぇぞ〕


 生まれて初めて出会った、愛しき我が同類。

 このダンジョンを攻略する道中、彼の戦闘に横から手を出そうとして諸共で咬み千切られそうになったのは、一度や二度じゃない。

 まさしく狂犬。いや、そんなものよりずっと凶暴で危険な何か。


 ――嬉しかったなぁ。


〔疲れたわ、月彦。休みましょう〕


 次いで、その凶暴を御せる麗しい死神。

 伝法な振る舞いに反し、随所で甲斐甲斐しくツキヒコを支える半身。

 ああいうレディを、確かこの国ではヤマトナデシコと呼ぶんだったか。


 ――あんな子も、居るんだなぁ。


 生国ドイチュラントどころかEU圏内からも遠く離れた異国ヤーパンで知った、胸の底に燻る孤独が癒える感覚。

 砂同然に乾いた心を潤してくれた二人の同志達に、人知れず感謝を寿いだ瞬間を思い出し、深く噛み締めた。






 程無く、景色が途切れる。

 無明の闇が、再び私を呑む。


 ――なんとも呆気ない、なぁ。


 千々に乱れ、薄れて行く意識。

 抗う手も無く、残らず消え失せてしまう間際――強い光が、差し込んだ。





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