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 静かな瞠目。

 戸惑いを湛えた視線。


 どうしたどうした。

 そんなに意外か。俺が「無理」と言うのは。


 だが考えてみろ。俺達の状態を。

 振り返ってみろ。たかだか奴の目玉ひとつ潰すために払った労力を。


「俺の『深度・弐』は、あと二十秒そこそこしか全力を保てねェ。お前に残ってるリソースも二キロ程度ときた」


 時間も余力も全く足りない。

 どう戦局を組み立てようと、勝ちの目を得るより早く、此方が潰れてしまう。


「腕はカタワ。身体能力は負けてる。お前のも、まだ戦闘じゃ使い物にならん」


 飛車角金銀桂香落ちってとこか。

 だいぶ控え目に例えるなら。


「……『呪血』は?」

「今のヘイトで『深度・弐』なら、二十八秒ありゃ動きを止められる。全身捻じ切るまでとなると、通算五十秒だな」


 普通に死ぬ。何せ『呪血』の血液摩耗速度は『豪血』や『鉄血』の倍。

 ついでに発動中、俺は常人並にしか身動きが出来ない。


「ヒルダは御覧のザマ。お前に奴を三十秒足止め出来る自信があるなら試しても構わんが」


 返答なぞ火を見るより明らかである、我ながら意地の悪い提案。

 口の中で舌打ちを鳴らした後、リゼは眉間に皺を寄せ、睨んできた。


「使いなさいよ『ウルドの愛人』」


 やっぱり、そういう話になるよなぁ。


「断る」


 有無を言わさず、斬って捨てた。


 確かに、過去を『有り得たかも知れない可能性』と差し替えれば、明確な有利を得られよう。

 左腕の欠損自体無かったことに出来るし、綱渡りを重ねに重ねて与えたダメージの量も増やせる。


 が、しかし。そいつは今この瞬間まで積み上げた闘争と悦楽の全否定に他ならない。

 痕跡すら残さず差し替えようとも、俺の中にだけは記憶が残る。


「後味の良くねぇもんが、死ぬまでずっと脳味噌を引っ掻き続ける羽目になっちまう」


 探索者シーカー人生に於いて、己の心に背くことは、ひとつだってやりたくない。

 悔いを抱かず済む分、潔く死んだ方が億倍マシだ。


「なーに。いざとなれば、お前だけ逃げりゃいい。出来るだろ?」


 リゼは暫し俺を睨んだままだったが、やがて折れたのか、深々と溜息を吐く。

 次いで体力スタミナ回復薬ポーションの蓋を弾き、勢い良く嚥下した。


「ぷはっ……独りで帰る気は無いわ。私を死なせたくないなら、自分の命を粗末に扱わないことね」

「かーっ、素知らぬ顔で難題放り投げてくれるぜ。かぐや姫かテメーはよォ」






 右眼を押さえ、蹲るをしていたミノタウロス。

 此方が誘いに乗らないことを悟ったのか、残る左眼に憎悪を滾らせ、平然と立ち上がる。


 馬鹿め。芝居がクサいんだよ単細胞。


「つーかリゼちー。負け前提で話を進めるのは、流石にまだ尚早と思うワケよ月彦さん」

「は?」


 こちとら勝つのはと言ったが、別にとは言ってない。


 あれは要するに理詰め――机上の計算による段取りを用意したところで、どうにもならんという意味。


 此処より先、求められるのは理屈抜きの本能と直感。

 道理を叩き伏せ、無理を押し通す局面。


 差し当たり。


「まずは生きてるかも分からん寝坊助に、モーニングコールかけてやらねぇとな」





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