250






 天獄の果て、深淵の最奥、直径数百メートルの小さな空間セカイ

 そこで俺達三人を待ち受けていたのは、成程、と称するに相応しいバケモノだった。


〈オオォォォォ……〉


 半人半獣、牛頭のヒトガタ。

 けれど、嘗て軍艦島で相対した牛頸とは、まるきり異なる。


 ドス黒い表皮の内に堅牢強固な筋骨を押し込めた、見ただけで肌身に伝わる桁外れのフィジカル。

 体躯は目算三メートル弱。このエリアで遭遇したクリーチャーの中では一等に小柄だが、膂力もタフネスも巨人共とは比べ物にならない筈。


 俺の胴より太い剛腕が握る、片面に斧を携えた大槌。

 腕以上に強靭な脚は爪先が蹄で、踏み締める都度、石床に深く亀裂を奔らせていた。


 まさしく、正しく、モンスターという存在の代名詞がひとつ――『ミノタウロス』。






「天の獄、その核心を形作るラビュリントスの底に坐すのがアステリオスの名を冠する異形の具現とはな。二重に洒落が利いてて笑える」


 己が領域へと踏み入った闖入者を認識し、濁った双眸を此方に向け遣るミノタウロス。

 体温か、はたまた高密度のエネルギーか、ゆらりと陽炎を纏った出で立ち。


 ……ただ視線を合わせただけで、腑の底から血が滲みそうなプレッシャー。

 裂けるほど強く唇を噛み、気付けとする。


「ハハハハハッ。俺の知ってるミノタウロスは、二十番台階層クラスの雑魚なんだがな」


 敢えて軽い調子に言葉を並べるも、二人からの応答は無い。

 ヒルダは既に臨戦態勢。武器こそ取っていないものの『空想イマジナリー力学ストレングス』を自らへと纏わせ、僅かに身体を浮かせている。


 そして、リゼは。


「っ、はっ……あ、は、あぅ、はっ、はぁっ……!!」


 手振れが伝わりカタカタと床を鳴らす大鎌の石突、不規則に引き攣った息遣い。

 明らかな恐慌、過呼吸状態。


 ――魂の視認能力、呪詛の感知能力。

 習得スキルが齎す副次効果による、単純な五感特化の俺とは違う意味での広い知覚。それ等を併せることでクリーチャーが発するエネルギーの多寡をも推し量る異才。

 その極めて稀な能力が裏目に出た。未攻略、難度八ダンジョンのダンジョンボスという埒外なエネルギーの凝縮体を視た所為で、精神がショートしかけてる。


「ヒルダ。少し任せる」

「承った」


 ふわ、と前に出るヒルダ。

 そんな光景を視界の端で見とめた後、間髪容れずリゼを引き寄せ――唇を重ねた。


「んっ……んぐっ……」


 過呼吸の対処は二酸化炭素の吸入量を増やすのが手っ取り早い。

 口移しで何度か息を循環させる。本当は袋を使う方が良いのだけれど、時間が無い。


 程無く、忙しなかったリズムが落ち着き始める。


 頃合を見て少しだけ顔を離す。

 澄んだ赤い瞳と、視線が合わさった。


 善哉。持ち直せたみたいだ。

 そうした仄かな安堵も、束の間。


〈――オオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッッ!!〉


 爆ぜ轟く、階層全体を揺るがすような、鼓膜を千切らんばかりの嘶き。

 直後。


「がっ……ッ!!」


 凄まじい衝突音と共に、割れ砕けて散乱する無数の瓦礫。

 紙切れの如く吹き飛んだヒルダが、鉄骨も拉げるだろう勢いで、壁へと叩き付けられた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る