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「富士の樹海には、ああいうのが出るっつう都市伝説は昔からあったが」

「まさか実在するなんてね」

「オバケじゃなくて良かったぁ……」


 サイレンと共に走り去るパトカーを見送る俺達三人。


 なんでも指名手配中の連続殺人犯だったとか。

 世の中、何が起こるか分かったもんじゃねぇな。






「タバコ吸いたい」


 前を歩いていたヒルダが、革手袋越しに爪を噛みつつ、ふと呟く。


 人間万事塞翁が馬。先の不審者騒動で恐怖心が抜け落ちたのか、或いはどうでも良くなったのか、すっかり平静を取り戻した彼女。

 まさか殺人鬼に感謝する日が来るとは。

 尤も、あの野郎の所為で、こちとら無駄に樹海を往復する羽目になったんだが。


「すこぶるタバコが吸いたい」

「吸えばいいじゃない」

「生憎と手持ちは残らず支部のロッカーに置いて来たんだ」


 まあダンジョンアタックの際は酒もタバコも断つと言ってたしな。


「君達、持ってたりしない?」

「吸わない物を持ってるワケないでしょ」


 そうとも限らんぞ。


「ほらよ」


 圧縮鞄から引っ張り出した未開封の缶入りタバコとジッポライターを投げ渡す。

 面食らったように、リゼが俺を見た。


「……なんで持ってるのよ」


 バーとかでハードボイルドなオッサンに『タバコあるか?』と聞かれた時のためだよ。

 ああいうイカした映画のワンシーンを再現するべく、幾つかの小道具は常に携帯しているのだ。






「到着、と」


 曲がりくねった遊歩道を抜けた先、少しだけ開けた岩場。

 その中央に坐す、大型トラックも悠々と出入り出来るサイズの石門。


「見た目は、他と変わらないんだな」


 僅か鼻先。四角い枠に張ったシャボン膜に似た境目を越えれば、そこは既にダンジョンの中。

 感無量。あと、ほんの一歩で、俺達の最前線への挑戦が始ま――


「さっさと入りなさいよ」

「おうふ」


 リゼに背中を押され、足場の悪さも手伝い、たたらを踏む。


 顔を上げれば、親の顔より見慣れた迷宮エリア。

 ……なんとも締まらない第一歩になってしまった。





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