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 ――例えるなら、少しずつ血が冷たくなるような感覚。

 胸中の昂りに反し、思考や身体はやけに落ち着いているという、妙な心地。

 

 親指以外の八爪で両掌を掻き、バスを降りる。

 バス停の名は……掠れてて読めん。運転手、なんて言ってたっけ。


 まあいいか。どうでも。


「あーキツ。いっそ自分で車出せば良かったか」

「アンタ免許持ってたの?」


 持ってると言うか。


「買ったんだよ。大学入ったばっかの頃、胡散臭いオッサンから五万円で。アレは色々と手間が省けて助かった。車の運転なんて赤ん坊でも出来ることを教わるために何週間も教習所に通うとか、馬鹿らし過ぎる」

「……偽造じゃないの……」


 ふはははは。






 探索者支援協会鳴沢支部は、青木ヶ原樹海の入り口に在る。

 そして実際のダンジョンゲートは、森を延々と穿つ遊歩道の先だ。


 事象革命以前より何かと物騒な噂が絶えなかったらしい深緑の魔境。

 そんなマイナスの印象に加えて交通アクセスも悪く、延いては苦労の割に成果が伴い難いとあって、知名度こそ高いけれど、あまり人が寄り付かない僻地……と、確かにそう聞いてはいたが。


「……未踏破ダンジョンとは思えない閑散ぶりだね」

「全くだな」


 甲府支部の半分も無い手狭なロビー。

 受付窓口と、その奥の事務スペースに座る数人の職員以外、殆ど人の気配すらも感じないという寂れ具合。


 脳裏に描いていた風景との落差にか、ヒルダが拍子抜けしたように顎を撫でる。

 正直、俺も想定外だ。まさか、ここまでとは。


「こんなのが本当に日本屈指のダンジョンを管理してる支部だってのか?」

「過疎化が進んでる山梨は必然的に探索者シーカーも少ないし、しかも関東には、この国の四割近いゲートが犇めいてるのよ」


 成程。稼げるダンジョンなんて他に幾らでも転がってる、と。

 みーんな、そっちに行っちまうワケね。


「にしたって、こりゃ、あんまりだろ」


 未踏破ダンジョンと言えば、探索者シーカーにとっての最前線。

 蔓延るクリーチャーに設定された高額の討伐ポイント、多数眠るであろう未知のドロップ品。

 まさしく、名を上げるには絶好の狩り場。


 ――にも拘らず、まるでショッピングモールに客を持って行かれたシャッター街の如し有様。

 それは、つまり。


「諦めてるのか。どいつもこいつも、青木ヶ原天獄の攻略を」


 難度九すら半数以上が踏破された現代で尚、誰一人として最深部への到達及びダンジョンボスの討伐を達成出来ていない、世界五ヶ所の難度八のひとつ。

 階層数やクリーチャーの強さという、単純な物差しでは測り知れぬ毒牙を潜ませた魔窟。


「……ハハッハァ」


 なんともはや。

 、最高だ。




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