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 どうせ引っ越すなら大学とダンジョン、どちらとも近い物件が望ましい。

 しかし県内で一番人口が多い中核市とは言え、やはり田舎。すぐには見付かるまい。


 ……と考えてたが、いざ適当な不動産屋を訪ねてみればトントン拍子に話が進んだ。

 即日で好都合な家を探し当て、週末には契約を済ませ、前のアパートも引き払った。

 どうでもいいが、大家は死ぬほど機嫌が良さそうだった。流石に嫌われ過ぎだろ俺。






 そもそもの荷物の少なさと圧縮鞄の存在により、パパッと終わった引っ越しの片付け。

 新居を見たいと言うので連れて来たリゼを、前の三倍は広い玄関に上がらせる。


「ようこそ、我が新居へ」

「ん……あ、はいこれ引っ越し祝い」

「別に気を遣わなくていいし、忘れてたなら忘れてたと言え。ポケットのガムで間に合わせようとするんじゃねぇ」


 大学まで徒歩十分。甲府支部まで徒歩五分。少々入り組んだ裏路地の奥まった場所に位置するため、出入りに人目を気にする必要も無い。

 しかも3LDKの一軒家。陽当たりは悪いが静かで住み心地も上々。

 壁が薄く生活音だだ漏れで、深夜に映画も観れやしなかった旧居とは雲泥の差。


「リビング以外、畳敷きなのね」

「布団敷くなら和室の方が寝心地いいよな」


 それにフローリングと違い、あれこれ家具を置かなくても殺風景になり難い気がする。

 まあ、家財道具一式付いてたんだが。


「結構新しい家……珍しく奮発したわね。家賃とか高かったでしょ?」

「それが妙に安かった。築六年、月千円」

「せっ」


 絶句するリゼ。確かに驚愕の安さだよな。

 なんで一年近く借り手が付かなかったのか。不思議。


「……まさか」


 何やら怪訝な目で家内を見回し始めるリゼ。


 今居るリビング隣の和室。その床の間に飾ってあった変てこな水墨画の掛け軸を捲る。

 そんなところ探したって抜け穴は無いぞ。俺も見たけど。


 精々――


「ちょっと月彦。これ」


 ――焼け焦げた札が何十枚も貼ってあるくらいだ。


「ああ、それな。大方、壁紙のシミ隠しだろ」

「なら掛け軸で十分だし、シミの上にシミより見栄え悪いもの貼ってどうす――ッ!」


 苦虫を噛み潰したような顔で呟く最中、リゼが急に振り返る。

 視線の先には、何の変哲も無い押し入れ。


「どうした、収納スペースが気になるのか? 案外広いぞ」


 引き戸を開けると、空っぽの壁一面を埋め尽くす、やはり大半が焼け焦げた札。

 きっと子供の落書きが酷かったに違いない。


「……ねえ月彦。ここ借りる時、何か言われたりしなかったの……?」

「あァ? いや、特に変わったことは」


 強いて挙げるなら。


「風呂とトイレを使う時は必ずノックをしてくれってさ。で、返事があったら絶対に開けるなとか」


 一人暮らしなのに返事なんかあるワケねーだろっつう話よ。

 全く、不動産屋の人も面白い冗談を。


 …………。

 流石に言い訳が苦しいな。


「事故物件じゃないの」

「バレたか」


 ハイハイそうですよ事故物件ですよ。悪いか。

 そうでもなきゃ、特急一本で東京まで行ける駅が目と鼻の先にある築浅の一戸建てが、月千円ぽっちで借りられるもんかよ。

 なんならタダでくれるとまで申し出を受けたぞ。


「心配すんな。事故物件なんて言っても、たかだか五人ほど……ちょっと、な?」

「安心出来る要素が微塵も無いわね。お手洗い借りるわ」


 溜息混じり、部屋を出て行くリゼ。


 暫しの後、人間のものとは思えん金切り声が劈く。

 さてはノックしなかったな、無精者め。


「ただいま」

「お帰り。何が居たんだ?」


 ここの連中、俺には姿を見せないし、近寄ろうともしないんだよ。

 きっと『呪血』の所為だ。あれ、やたら幽霊レイス系に効くし。


「……さあ。黒い毛玉みたいなのが出たけど、鼻で笑ったら消えたもの」


 恐らくコイツの前にも二度と現れないだろう。

 ああいう奴等にだって、立場とかプライドってものがある筈だし。


 ま、いいや。


「今日、泊まってくか? 不動産屋の人が契約の時に土下座する勢いで感謝しながら最新式の空間投影ディスプレイをオマケしてくれてよ。一緒に朝まで映画観よう、ピザ取ろうぜピザ」

「ピザもいいけど、ミッシュマッシュが食べたいわ」


 一体どこの、どんな料理だそれ。





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