117






 当分見納めとなる海を、特に何を思うでもなくボーッと眺める。


 一説によると、人間が波の音を聞いて落ち着くのは母親の胎内と同じ音だからとか。

 つまり海が好きな奴はマザコンってことか。


「サーファーも漁師もライフセーバーも海苔職人も海上保安官も全員マザコン……か」

「いきなり何言ってんのアンタ」


 俺の横で砂浜に字を書いてたリゼが、胡乱げに此方を見る。

 先んじて世の真理を紐解いた者に、世間は冷たい。






 全三陣、累計千人以上の探索者シーカー達の奮闘を受け、軍艦島のカタストロフは無事終息を迎えた。

 昨晩その正式発表が出され、拘束期間も過ぎたことで、予定より少し遅ればせながらも俺達は今日の夕方に長崎を発つ。


 尚。肝心要だった俺達の勝負の結果はと言うと。


「負けちゃったわね」


 軽く肩をすくめ、リゼが呟く。


「釈然としねぇがな」


 単一のクリーチャーを複数人で討伐した場合、討伐ポイントの振り分けやドロップ品の所有権などの判定は、体内ナノマシンによる五感取得情報を基、過去の事例数百万件のデータを内包するAIが裁決を行う。

 俺としては八割九割がリゼに行くものと考えていたが、AIは八尺様の討伐ポイント六割を此方に与えた。


「多分トドメを俺が掻っ攫っちまったからだろ」


 五十階層到達時点での俺とリゼのポイントは殆ど横並び。

 帰還中は流石にクリーチャーを倒す余裕など無かったし、明暗を分けたのが八尺様との戦いであったことは間違い無い。


「負けは負けよ。大体あそこで私に戦闘継続なんて無理だったし」

「そりゃそうだが」


 勝ちはすれど、奥歯にものが挟まった気分。

 内容に納得が行っていないから……だけではない。


 リゼの態度が、あんまりにも想像と違うからだ。


 買うなら億は下らない、市場に出ることすら滅多に無い不老効果持ちスキル。

 心の底より望んでいる筈のそれを得られるかどうかの、現にバカ高いハイエンドモデルのナイフまで用意した上で臨んだ勝負。


 にも拘らず、負けを呟いたリゼの表情にも言葉にも、一切の悔恨が感じられない。

 実に穏やかで、寧ろ満足感すら伴っていた。


「……リゼ。お前もしかして、最初から勝敗なんてどうでも良かったんじゃないのか?」


 割と上手い猫の絵を描くリゼは、質問に答えない。

 それこそが、何よりの肯定と言えた。


「だったら、なんで今回の話を持ち出したんだ? スキルペーパーだのチドリだの、八桁近い買い物までしてよ」


 やはりリゼは答えない。

 描き終えた猫の絵に『リゼ参上』と百年前の暴走族みたいな落書きを添えると、視線だけ俺に向け、逆にこう尋ねてきた。


「ねえ月彦。楽しかった?」

「あァ……?」


 …………。

 ああ、そうか。そういうことか。


 、か。


「……おう。すげー楽しかったよ、この一ヶ月」

「そ」


 思えば頻りに聞いてきてたな。楽しいか、楽しいかって。

 大枚叩いて『飛斬』の礼のつもりか。そんなもの不要と言ったのに案外律儀な奴め。


「はっ」


 短い溜息を吐く俺を余所、リゼはいつものようにガムを噛み始め、踵を返した。


「ほら、もうチェックアウトの時間よ。行きましょ」

「待て」


 数歩、白い砂の上に足跡を残し、立ち止まるリゼ。

 どう切り出したものか少し考えた後、俺は口を開いた。


「二度とやらねぇ」

「……?」

「今回限りだ。俺がスキル云々に『ウルドの愛人』を引っ張り出すのは」


 この遠征中、俺はコイツの掌の上だった。


「使えよ、スキルペーパー。負けた方は勝った方の命令、なんでもひとつ聞くんだろ」


 なら最後くらい――此方が仕掛ける側に回っても、構わないだろう。


「差し替えてやる。言ってみろ。お前の欲しいスキルの名を」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る