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「……嘘、でしょ……」


 完全に仕留めたものと疑いすらしていなかったリゼの表情が引き攣る。

 覚束ない足取りで己の巨躯を支える八尺様は、洞のような眼差しで俺達を見据えた。


〈ぽぽ……ぽぽぽ……ヒドイコト……スルノ、ネェ〉


 陽炎の如く昇り立つ呪詛。

 質も量も、つい先程までと比べれば見る影も無い貧相さ。

 だが、弱った人間二人を縊るには十分過ぎる程度の力は、ひしひしと感じられた。


〈ナンデ……コンナコト、スルノ……?〉


 血を滴らせ、ゆっくり此方に歩み寄る。

 足元に落ちていたガラスの破片が、触れてもいないのに亀裂を奔らせた。


〈ワタシハ、タダ……アナタガ、ホシカッタ、ダケナノニ……〉

「こ、の……ッ!!」


 リゼは今度こそ大鎌を頼りに立ち上がるも、だらりと垂れ下がった手に持つチドリの切っ先は震えていた。

 ナイフすら構えていられない。力を搾り尽くしたばかりの身体が、限界を訴えてる。


「……座ってろ」


 そんなリゼの肩を少しだけ押すと、いとも容易く足腰を崩し、へたり込んだ。


 お転婆め。チアノーゼとハンガーノックのダブルパンチ食らった直後に戦えるワケねーだろ。

 俺なら戦うし、気概は買うが。買いまくるが。


「詰めの一手が甘かった。ボスの生命力をナメてたな……シメくらい俺にやらせてくれ」


 両拳を何度か握り締め、手応えを確かめる。

 依然と貧血の症状は重くのしかかり、真っ直ぐ歩くのも難しいが、取り敢えず怪我は治ってるし身体も動く。


 なら――何の問題も無い。


「鉄血」


 静脈を伝う青光。

 スキルを発動させただけで、一瞬視界がブラックアウトしかけた。


 死にそう。こんなことなら増血薬以外に血を補給する手段、備えておけば良かったか。

 パッと思い付くのは、予め自分の血を抜いて輸血用に保管すること。俺の血液型、かなり特殊で人工血液が作れないし。

 でも献血だって年に何回も出来ないと聞く。どのみち大した数は用立てられないだろう。


「詰め将棋も悪くねぇが、やっぱ最後はシンプルな殴り合いだよなァ」


 吐きそうだ。ひどく気持ち悪い。

 だけれどコンディションに反して、口の端は勝手に吊り上がる。


「こっからは俺だけで相手してやるよ。特別だぜ?」


 武器は壊れてしまった。素手の殴打なら『鉄血』の方が向いてる。

 アレだな。殴っても手足の痛まないグローブとかブーツとか要るな。幾ら用意すりゃ買えんだか。


〈ドウシテ……ドウシテ、ワタシノモノニ……ナッテ、クレナイノ……?〉


 突き出される呪詛の棘を払い除ける。

 遅い。脆い。弱い。鈍い。硬化さえ解かなければ素の身体能力でも対応可能な範疇だ。


〈ドウシテ……ドウシテ……〉


 あとは根比べ。

 先に倒れた方の負け。


「うるせぇよ世間知らず。こちとら探索者シーカー、てめぇらクリーチャーをブチのめすのが仕事だ」


 気に入った男を攫い、じわじわ精気を吸い殺す、現在確認されてる中でも最強の都市伝説系クリーチャー。

 強過ぎるエネルギーが反発するとかで『魅了チャーム』こそ使えないものの、十分に整った顔立ちを悲しげに歪ませた女怪に吐き捨てる。


「それにな。欲しい欲しいの一点張りでどうにかなるほど、世の中は甘かねぇ」


 すっかり精彩を欠いた攻撃を三度四度と掻い潜り、腹を殴る。

 呪詛の守りを失った身体に拳が深々と突き刺さり、八尺様は悶絶した。


「欲しけりゃ奪えや。力尽くでな」





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