9、初仕事2
習うより慣れよ。
「おい、あんまりじっくり見るな。気付かれるぞ」
一色の言葉で
あまりにはっきりと見えてしまうものだから、目が離せなくなっていた。
妖はいた。
しかもそこはホームの下にある待避所と呼ばれるスペースだ。大きさは未就学児ほどだが、人の手足がいろんなところから伸びた継ぎはぎだらけの体をしている。人も模しているつもりなのかもしれないが、それは先日対峙した蜥蜴とはまた違った異様さを醸し出している。
「一色さん、あれ・・・」
「あれは飛び込み自殺した魂が集まったもんだろう」
「魂ですか?」
「ああ。人間の魂ってのは体に収まっている時は一つで、普通死んでも一つだ。でも、心にあまりに大きな衝撃を受けるとばらばらになっちまう。そして一度ばらけた魂はもう二度と元の形には戻らない」
心に大きな衝撃を受けた魂。
つまり、自殺するほどまでに追い込まれた人々の魂のことだ。陽子はぎゅっと胸が苦しくなるのがわかった。
「・・・それじゃあ、そのばらけた魂はどうなるんですか?」
「
「一色さんって神様信じてるんですか?」
陽子が驚いたように目を丸くする。
自分が口にした言葉に気付いた一色の顔が赤くなる。
「っうるせぇ。そうやって教えられんだよ」
「・・・そう、ですか」
拗ねたような反応をされ、ほんの少しだけ可愛いと思ってしまう。
それこそ生意気な子供がサンタクロースを信じてたみたいな─と加護六がここにいたら、また回想を入れてくれていただろう。
「それで、あの妖は退治するですか?」
黙り込んでいた一色が「ああ」と短く返事する。
「じゃあ、また刀でぶっ刺すんですか?」
「おい、なんかお前のその言い方悪意ないか?」
「だってわんちゃんにそうしようとしていたじゃないですか」
それに蜥蜴みたいな妖も刀で斬っていた。
だから今回も刀で退治すると思うのが普通である。
「あのなぁ・・・言っておくが、別に俺はあの時水太郎を殺そうとしたんじゃねーぞ」
「えっ・・・あ、そうか」
たしかに言われてみれば犬は妖ではなく一色の式神(仮)だ。
三島の話でも逃げ出した犬を探していたと言っていた。でも、
「じゃあ、なんで刺そうとしてたんです?」
普通に捕まえればいいのに、と陽子は思ってしまう。そうすれば陽子が串刺しになることも、犬と混じることもなかっただろうに。
「あー、あれは逃げられると面倒だから憑依させようとしたんだよ」
「憑依?」
「ああ。俺が持ってた刀は呪具といって見た目ではわからないが、特別な材料と選ばれた者しか作れない対妖用の武器だ。そしてその呪具には式神を憑依させることで式神の持つ能力を最大限に引き出せる。よくレンジャーもので合体すると巨大なロボになって、嘘みたいに強くなるだろ?あれと同じようなもんだ。あんなに強くなれば苦労はねーけど」
「そうなんですね・・・ん?じゃあ、わたしはただ邪魔をしただけなんですか?」
「まあ、そうだな」
「・・・・」
衝撃の事実に思わず黙る陽子。
巻き込まれたと思っていたが、実際は自分からしなくていい親切心で巻き込まれに行っただけだったなんて。
悲しいとか悔しいとか恥ずかしいとかやるせなさとか。いろんな感情が入り混じり、胸がもやつく。
そんな陽子の頭をぽんと一色が叩く。
「結果はどうであれお前は事情を知らなかったし、なにより自分の身を張ってまで犬を助けようとした生き甲斐は嫌いじゃねーよ」
「・・・・ありがとうございます」
「おう。で、あれをどうするかって話だが、これを使う」
「・・・輪ゴム?」
一色がポケットから取り出したのは一見普通の輪ゴムである。
「これも呪具ですか?」
「いや、これは三島のデスクからパクってきたただのゴム」
「呪具じゃなくても祓えるんですか?」
「あの程度の妖ならな。これに俺の霊力を乗せる」
目を片方つぶって狙いを定める一色。
これが拳銃ならばまだ格好がつくのだが、その手にひっかけれているのは輪ゴムである。ただの悪戯をしようとしている悪ガキにしか見えない。
見た目がカッコいいだけに、なんだか残念だ。
一色が親指を倒すと勢いよく輪ゴムが発射する。真っすぐ飛んだ輪ゴムが妖にぶつかる。その瞬間、「ギィアアアアアアア」と不協和音のような叫び声をあげて妖が弾けた。
「はい、お祓い終了」
「おー」
パチパチと拍手をする陽子。
以前の方が絶対迫力はあったのだろうが、あの時は一色の技とかそういうものを冷静に見る状況ではなかった。
「じゃあ残りのホームも回っていくか」
「えっ・・・全部ですか?」
顔を引きつらせる陽子。
「ん?全部って言っても三十くらいしかねーぞ」
「三十・・・」
三十って
しかし、一色は打ちひしがれる陽子を気にかける様子もなく次のホームへと向かい始める。
やっぱりこの職場、ブラックだよ。
「おいっ!置いてくぞ!」
「あっ、はい!」
顔をあげた陽子は慌てて一色の後を追う。
今ここで置いて行かれたら迷子になること間違いなしだった。
「・・・やっと最後」
ホームを回り端から端まで見て回る。そんな作業を繰り返すこと数時間。やっと苦行にも終わりが見えてきた。
これまでに祓った妖は二体。一色曰く妖と呼べるかどうか怪しいくらいのレベルらしいが、それでこういう人が多い場所では負の感情が集まりやすいため放っておけばすぐに成長してしまうらしい。だからこういった大きな駅などは定期的に見回りをしなければならないのだという。
出会いが出会いだっただけにもっと派手な仕事ばかりだと思っていたが、基本は普通の警察官と変わらず小さなことの積み重ねである。
「ふぅ、もうお前も手順はわかっただろ?俺はあっちのライン見るから、お前はこっちのラインを見ろ。何かあったら俺を呼べ。絶対に自分勝手に動いたりすんなよ」
「自分勝手って、わたし穢禊師じゃないから何もできませんよ」
二人はその場で二手に分かれる。
さっき一瞬一色がばつの悪そうな表情をしたのがほんの少しひっかかったが、たぶん聞いたところで答えてくれないだろうから黙っておく。無駄に怒られるのは誰だって嫌だ。
陽子は指示された通り、ホームを端からゆっくりと歩く。見るのは待避所だけではない。線路に並んでいる人の顔や足、不審な動きをしているものや一見ゴミに見えるもの。妖は何にでもなるし、どこにでも現れる。
「ふぅ・・・・」
やっと半分が終わったところで小さく伸びをする。
同じ作業を集中してやるのは誰だって難しい。ほんの少しの休息を挟んだ方が効率はあがるのだと言い訳をしながら、次の電車が来る時間を電光掲示板で確認するとあと一分ほどで電車が到着する。
次の電車が通り過ぎたらまた再開しよう。
そう思ってぼーっと無数にある人の足元も見ていると、ふと小さな違和感を感じた。
列の先頭、ランドセルを背負った小学生になったばかりくらいの男子の足元になんだか靄のようなものが見える。目が疲れているのかと擦ってみるが、その靄は一向に消える気配はない。
嫌な予感がすると自分の中の(自分ではない)何かが訴えかけてくる。
構内に到着を告げるアナウンスが流れた。まだ遠くだが電車のヘッドライトが見える。
「・・・あっ」
ほんの一瞬の出来事だった。
靄が男子の足を引っ張り、軽い体はそのまま前に倒れる。
考えるよりも先に体が動いていた。
陽子は線路に落ちていく男子の服を掴んだ。しかし、想像していたよりもずっと力が入っていない体というものは重い。一緒になって体制が崩れる。もう電車はすぐそこに来ている。目の端で手で口を覆う人々を捉える。
だめだ、間に合わない。
陽子は男子の体を守るように抱きしめ、目を固く瞑る。
しかし、いくら待っても想像していた痛みは来ない。そろりと目を開けると、すぐ目と鼻の先に電車の車体が止まっていた。
「た・・・助かった」
「・・・助かったじゃねーだろが!」
「あ・・・一色さん」
振り向くとそれこそ目と鼻の先に一色の顔があった。ふと下を見ると、陽子の腹部は一色の腕。どうやら助けてくれたようだ。
「お前、さっき言」
「大丈夫ですか!?」
走ってやってきたのは駅員と私服の男。いったい誰だと思っていると、男の方が先に気付いたのか一色に向かってペコリと頭を下げる。
「お疲れ様です。何がありましたか?」
「子供が落ちそうになったのをこいつが助けようとして、それを俺が助けた。あとは任せる」
「そうでしたか。ご協力感謝します。僕、ちょっと向こうでおじさんとお話ししようか?お母さんの連絡先とかわかるかな?あっ、すみません。そこの女性も一緒にいいですか?」
「わたしですか?」
その場から離れる一色について行こうとしていた陽子が立ち止まる。
「ええ、身分証明書とかあればありがたいのですが・・・というか、まだ学生さん?」
「えっ、あ、その・・・」
学生であることには間違いないのだが、陽子は公式にはパトカーと接触事故を起こして入院していることになっている。その陽子がこんなところでウロウロしていて問題ないのだろうか。一応変装はしているが、身分証を見せれば変装など意味がない。
どうするべきか分からずあわあわとしていると、男の訝しげに眉を寄せる。
「ちょっと君、もしかして」
手を伸ばす男。しかし、その手が陽子の腕を掴むことはない。
「こいつは関係ない」
「いっ、一色さん!」
陽子の腕を掴んだのは一色だった。
とっくに喫煙所にでも行ったのだと思っていたのに。
「ああ、なるほど。それは失礼しました」
「ほら、さっさと行くぞ」
返事をする間もなく引っ張られ、人混みの中に紛れ込む。
「ちょっ、一色さん!痛いです!」
強く握られているせいかピリピリと痺れたような痛みが走る。
一色はぴたっと足を止め、手を離す。
「・・・お前、ちゃんと呼べって言ったよな?」
言った。
たしかに陽子も返事をした。
「・・・でも、それじゃ間に合いませんでした」
ほんの数秒の出来事だ。
一色を呼びに行って、説明している間にあの男子は線路に落ちて最悪轢かれていただろう。現に、電車は止まれてなかったのだ。
「だろうな。でも、俺が間に合わなかったらお前も死んでた」
「でも、間に合いました」
「今回はたまたま間に合っただけだ。俺があと一秒反応に遅れてたらお前ら二人ともよくて車体と衝突、もしくは下敷きだ」
「でも、見殺しにはできません」
「お前には無理だ、そんなことは」
顔を上げると一色が振り向いていた。
冷静に話そうとしてくれているのは全体を通して伝わっていたのだが、額に青筋が浮かんでいるのがわかる。陽子の想像よりもずっと怒りは深そうだ。
「いいか。あんな無茶して人を助けるのは、不死身か馬鹿のどちらかだ。そしてお前は馬鹿。馬鹿は馬鹿なりに頭ちゃんと使え」
自分をそんなに賢いと思ったことはないが、そんなに馬鹿馬鹿言われるのは流石にプライドが傷つく。それでも馬鹿なことをした自覚はあるし、流石に今回の件は反省している。
「今日は直帰のつもりだったが、報告書書きに戻るぞ」
「・・・はぁい」
日が暮れているから帰りはもっと寒い。ただでさえ凹んだ心に寒さは堪える。
しかし落ち込む陽子を他所に、一色はさっさとタクシーを拾った。
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