8、初仕事

 ふーっと長い煙が伸びる。

 美しい人はどんな仕草も美しい。いや、もしかすると美しい仕草だから美しいのかもしれない。どちらにせよ、窓から覗く決していい天気とは言えない曇り空でも佐々木は非常に絵になっていた。

 じーっと凝視している陽子に気づいた佐々木がふっと口元を緩める。


 「陽子ようこちゃんも吸ってみる?」


 その表情が魅力的すぎて思わず頷きそうになるが、すぐに我にかえり首を左右に振る。


 「あら、そう?」


 佐々木は残念そうに灰皿にタバコを押し付けると、陽子の隣に腰掛けた。

 不思議とあのタバコ特有の嫌な匂いがしない。むしろなんだかいい匂いがする。

 もしかすると美人はなんでもいい匂いになるように設定されているのかもしれない。そうであればとてつもないチート能力だ。


 「・・・陽子ちゃんさ、契約紋ないんだって?」


 徐に佐々木が口を開く。


 「あ、はい。ないみたいです」

 「ふーん。ちょっとわたしが見てもいい?」

 

 佐々木は陽子の返事も待たずに片足を自分の足で挟み込んで押さえつけると、制服のスカートを捲る。


 「ちょっ、えっ、四乃さん!?」

 「うーん・・・あいつのことだからここら辺よね」


 佐々木の手が鼠蹊部に伸びる。


 「ひっ」

 「・・・右はなし。左は」

 「やっ」

 「こっちもなし・・・前足・・・脇って線もあるかしら」


 片手で器用にボタンを外すと、躊躇なく手を滑り込ませてくる。


 「ちょっ、ほんとにっ」


 くすぐったさだけではなくなんだか頭がくらくらしてうまく抵抗できない。

 なんだ、この頭の奥から痺れるような感覚は。

 

 「おい」


 まるで冷水のような声に、頭が一気にクリアになる。

 声のした方に顔を向けると、入り口に一色いっしきが寄りかかっていた。その視線は冷たく、鋭い。


 「・・・あーあ、なによ。せっかくいいところだったのに」

 「何がいいところだったのに、だよ。散々人のことおちょくっといてテメェが手出してんじゃねぇか」

 「ケチ」

 

 ちぇっと小さく舌打ちする佐々木。


 「うわっ」


 そのやりとりに小首を傾げていた陽子の頭に何かが覆い被さる。広げてみるとそれは一枚の真っ黒な布─ワンピースだった。

 

 「お前の新しい服だ。さっさと着替えて出るぞ」


 それだけ言い残して、一色は休憩室を後にする。

 

 「あら、またかわいいの選んできたわねあいつ。でも、きっと陽子ちゃんに似合うわ」

 

 何事もなかったかのように佐々木がからりと笑う。

 その態度に、もしかしてさっきのは自分の妄想なのではと陽子はほんの少し自分の頭を心配した。


 

 びゅっとビル風が容赦なく吹きつける。

 そのあまりの冷たさに陽子は「ひぃっ」と小さく悲鳴を漏らし、身を縮める。

 

 「なにやってんだお前」


 その様子に少し先を歩いていた一色が呆れたように足を止める。


 「だって・・・一色さん、寒くないんですか?」


 ダッフルコートにマフラーまでしている陽子に比べ、シャツにジャケットを羽織っただけだ。しかもノーネクタイ。ほんの少し開いた首元の隙間は見ているこっちが寒くなる。


 「言うほど寒いか?」

 「寒いですよ!」


 陽子は即答する。

 気温は驚くほど低いわけではないが、なにより空一面を覆う鈍く分厚い雲のせいで一切陽が差さない。そしてこの風。実際の温度よりも体感温度は五度は低いはずだ。

 女と男で体感温度が違うという話はよく聞くが、それにしても一色は軽装すぎる。


 「そうか?三島もこんなもんだぞ」

 「いや、三島さんはコート羽織って出かけてましたよ」

 「じゃあ俺がただ単に寒さに強いんだろ」

 「だろうって」


 なんでこの人自分のことなのに他人事なんだろうと思っていると、「ほら、着いたぞ」と一色が足を止める。

 その言葉に顔をあげると、そこにあったのはレンガ造りの大きな建物─東京駅だ。


 「どこかに行くんですか?」


 駅と言えば電車に乗る場所だ。

 行き先は特に聞かずにつれてこられたが、これから別の場所で任務にあたるのだろうか。

 しかし、一色は「いいや」と首を横に振る。


 「駅構内をぶらつく」

 「・・・」

 「おい、なんだその目は」

 「だって・・・それって職務怠慢ですよね?」


 明らかに普通の警察官ではないが、一色の肩書は警部補。給与も国民が納めた血税から出ているはずだ。陽子はまだ税金らしい税金を納めていないが、それでもちょっとそれはどうなのという感覚は持っている。働かざる者食うべからずという言葉はあるように、働かずに税金を搾取するような輩は国民の敵である。

 一瞬目を見開いた一色だが、すぐに呆れた表情になる。 


 「いたっ!」

 「遊びに来たんじゃねーよ」

 「えっ、でもぶらつくって」

 「パトロール」


 あ、なるほど。


 「じゃあ、初めからそう言ってくださいよ」


 赤くなっているだろう額を押さえたまま睨むと一色がはんと鼻を鳴らす。


 「お前ってクソ真面目だな。きっと警官向いてるわ」

 

 到底警察官に見えない人にそんなこと言われても全く嬉しくないのだが、一応今は褒め言葉として受け取っておくことにする。

 

 新幹線、地下鉄、在来線と無数の電車が乗り入れる駅というだけあり、その数に比例するように人の数も多い。ただ、今日は平日のしかも昼過ぎという時間帯のせいか想像よりもずっと人の数は少ない。

 一色はその言葉通り、駅構内をぶらついた。

 弁当屋が並ぶ通りを一通りぶらぶらしたかと思えば、今度は土産物コーナーをぶらつく。そこに満足したら今度はレストラン街をぶらついて、ベーカリーに入りパンを数個とカフェでコーヒーを買う。


 「ほら、お前も食え」

 「ありがとうございます」

 

 お昼を食べていなかったのでちょうどお腹は減っていた。

 陽子はありがたくクロワッサンをもらう。


 「・・・て、やっぱりこれ遊んでません?」


 半分ほど食べ進めておいてなんだが、どうみてもパトロールではない。暇つぶし、よく言えば散歩である。

 陽子の言葉に一瞬眉を顰めるが、すぐに小さくため息をつく。

 

 「まあ、今日はそう見えても仕方ねーな」

 「今日は?」

 「ああ。まあ、でも駅ってのはこうやってにぎわっている場所よりもホームが一番集まるんだよ」

 

 集まるって何が?

 言葉の意味がよくわからずに黙っていると、一色が残っていたコーヒーを流し込んで立ち上がる。


 「あっ、ちょっと待ってください!」

 「・・・まだ食ってたのかよ。あと三分待ってやる」


 三分という絶望的な時間に、陽子はクロワッサンを押し込むとコーヒーで流し込んだ。

 美味しかったはずのクロワッサンの味はほとんど苦みでかき消されてわからなくなってしまった。

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