7、それは突然に

 どうしてこうなるのだ。


 「それじゃ、シキ。陽子ようこちゃんのことよろしくね〜」


 軽やかに手を振る零子れいこに見送られた一色と陽子は待ち構えていたエレベーターに乗る。

 

 結局、あの後戻ってきた零子の一声で陽子の面倒は一色いっしきが見ることになった。

 最初は上司命令でも渋っていた一色だが、式神の面倒は式神使いが見るべしという結論に至り、仕方なくではあるが了承した形となる。

 まあ、実のところ「いくらなんでも犬に手を出す畜生じゃないんだから大丈夫でしょう」という三島の煽りにキレた一色が「やってやろーじゃねぇか!」と言ってしまったのが決定打になったのだが。


 一色が行先階ボタンのすぐ下、なにもないところに手首を当てるとエレベーターが動き出す。ちらりと腕輪のようなものが見える。


 「・・・スマートウォッチ?」

 「は?」

 「あ、いえ、その腕のやつです」


 陽子の視線を追った一色が「ああ」と納得したように声を上げ、袖をあげる。そこにあったのは銀に勾玉がはめ込まれている腕輪だった。


 「081には関係者以外立ち入り禁止だ。あの階に行くためには特殊な霊力が封じ込められているこの腕輪が必要なんだよ」

 「へぇ、なんか先進的ですね」


 どこかのSFの世界みたいだ。


 「そうか?どっちかというと昔からある結界術の応用だから大して新しくはねーぞ。むしろスマートウォッチが出てくる方が先進的だろう。あんなの誰が使うんだよ」

 「そうですか?クラスで持ってる子いますけど、便利そうですよ。あとバイト先に来るおじさんたちとか」

 「おじさんって、お前それいくつぐらいの奴のこと言ってる?」

 「えっ・・・うーん、まだ独身の方が多いので三十台前半くらいですかね」

 

 さらりと言った陽子の言葉に急に胸を押さえる一色。


 「どうかしました?」

 「いや、うん・・・そうだよな」


 一色はひとりで納得して、どこか遠くを見つめる。

 その様子を不思議に思ったが、あまり深く突っ込まない方がいいと思いそっとしておくことにした。


 一色の家は地下鉄で十分ほどの距離にあるマンションだった。

 家からの眺めがよく、不動産価格なんてよくわからない陽子でもかなりお金を出さないと住めないことがわかる。


 「ほら飯」

 

 そう言って一色が出してくれたのは、干からびた肉、ビーフジャーキーだ。

 机の上には先ほど寄ったコンビニの袋があり、それから犬の絵が描かれたパッケージが飛び出している。なるほど、完全にペット用である。


 「あの、式神って普段何食べてるんですか?」

 「何も食べねーよ」

 「えっ、そうなんですか!」

 「ああ。もともとそういう器官は存在しない。だから排泄もない」


  なるほど、そういうことだったのかと先ほどの三島たちの話を思い出す。


 「あ、でもこのパン嬉しそうに食べましたよ?」

 「ああ、そりゃ別に食べられないわけではないからな。ただ生きるために必要ないって話だ。人間でいう酒とかたばこと同じだよ。なくてもいいけど、あったら嬉しいってやつ」

 「ふーん・・・じゃあ、わたしもそっち食べたいです」


 陽子は一色が食べているチョコパンを指さす。この時間にチョコパンってどうなのと思わなくもないが、犬用を食べるよりはマシである。一応こんな見た目にはなったが、人間としての矜持はまだ持ち合わせている。


 「いやいや、それはやめとけよ」

 「なんでです?ちょっとくらい分けてくれてもばちは当たらないと思いますよ」

 「あのな・・・お前は今、式神とも人間ともわからねー状態なわけ。そんな不確定な状態で万が一普通の犬と同じ体の構造になってたらチョコ食って死ぬぞ。まあ、命かけてまで食べたいってんだったら別に止めねーけど」

 「・・・やめておきます」

 「そうしておけ。人間に戻ったらチョコパンくらい買ってやるよ」


 そう言って笑いながら一色が陽子の頭を撫でる。

 その扱いは完全に犬だったが、意外と悪くない気はした。

 ハムハムと大人しく与えられたビーフジャーキーを食べていると、テレビを見ていた一色が「あ、そうだ」と呟く。


 「お前、風呂入る?」

 「お風呂!」


 陽子がわかりやすく目を輝かせる。その姿に呆れたように笑う一色。

 

 「わかりやすく女子だな。ほら、こっちこい」

 

 大人しくついていくと、一面黒のスタイリッシュな浴室に案内される。

 一色がシャワーを捻って温度を確かめる。


 「・・・よし、これくらいなら大丈夫だろ。バスタオル取ってくるから、お前は水浴びでもしてろ」

 「はーい」


 本当は湯舟に浸かりたいが、この体なので今は仕方がない。

 大人しくシャワーを浴びるが、一色が優しめの温度にしたせいかやや温度が低く感じる。湯舟に浸かれない分、せめてもう少しだけ温度を高くしたい。

 陽子は壁に手をつき後ろ足で立ち上がると、温度調節レバーに手をかける。しかし、レバーはなかなか回ってくれない。


 「・・・・あとちょっと」


 ぐぐぐっと腕に力を入れると、レバーが手前に下りた。


 「やったー!」


 達成感からわーいと手をあげると、その手が今手前に下りたばかりのレバーを思いっきりはじく。

 途端、シャワーから出てきたのはお湯ではなく水。しかも季節はまだ三月。水は当たり前だか冷たい。


 「キャァアァァー!!」


 あまりの冷たさに思わず悲鳴をあげる。


 「おい、なにやってん・・・・」


 バスタオルを持ってやってきた一色の口からぽろりとたばこが落ちる。

 

 「一色さん!早くシャワー止めて!」

 「・・・いや、お前、それ」

 「へ?」


 一色が指さす先、陽子の体を見ると、そこには先ほどまでのふわふわの綿毛のような毛におおわれた体ではなく、つるんとした肌色があった。


 「えっ、わたし戻っ!戻りました!」


 わーいと両手をあげて喜ぶ陽子。

 しかし、一色は黙ったままだ。そして、


 「D・・・いやEか」


 なにやら真剣な顔でぶつぶつとアルファベットを並べている一色。

 その行動の意味が分からず小首を傾げた陽子だが、一色の視線を追ってあることにやっと気付く。

 そこにあったは露わになった陽子の胸。


 「っキャァァァァー!」


 絶叫と共にパンと乾いた音が洗面所に響く。

 一色の左頬には本日三度目のビンタがきれいに花を咲かせた。



 翌朝、一色に連れられて警視庁の地下にある事務所に入る。

 

 「はよーす」

 「あ、シキさんおはようございます。あれ、なんか左頬だけやけに腫れてません?というか、陽子ちゃんは?」

 「三島さん、わたしはここです」

 

 陽子が一色の後ろからひょっこりと顔を出す。


 「えっ・・・嘘!人間に戻ってる!」

 「そうなんです。実は、」

 「おっはよーございます!」

 「おはよう」


 元気いっぱい加護六かごろくと黒髪が美しい華奢な女が一緒に入ってきた。


 「あれ・・・もしかして陽子ちゃん!えっ、人間に戻ってる!?」

 「あ、はい。おかげさまで」

 「いついつ!もしかして一晩寝たら戻った系です?」

 「いえ、実は昨日シャワーを浴びている時に急に戻りました。あの、その方は?」


 陽子の視線に気が付いた女性がにっこりとほほ笑む。


 「佐々木四乃ささきしのです。陽子ちゃんね。話は加護六から聞いてます。うちのバカが巻き込んじゃってごめんなさい」

 「おーい、聞こえてんぞ」

 「あっ、二見陽子です。よろしくお願いします」

 

 陽子は差し出された手を握り握手する。

 ここに来て初めての握手である。


 「それにしても災難だったわね。今も人間に戻っているけど、なんか混じっているみたいだし・・・シイ」

 

 佐々木が左右二本ずつ指を合わせて顔の前でバツを作るとコウモリが姿を現す。コウモリは陽子の周りをまわりぐるぐると回り、佐々木の腕に留まる。


 「そう。シイでもわからないなら人間には無理ね」

 「あの、今のは?」

 「ああ。この子、人間かどうか見分けるのが得意なの。たまに人間の皮被った妖とかいるからさ」

 「そんなのもいるんですか!?」

 「ええ。タチが悪いのは知恵をつけるからね。まあ、それは人間も同じなんだけど」

 

 意味深に笑った佐々木が横目で一色を見る。


 「それはそうと、あれと二人っきりで大丈夫だった?なにか変なことされてない?されてたら淫行で訴えれるけど」

 「あっ、そうだ!シキさんになにもされなかったです?」


 佐々木は半分揶揄っているような雰囲気だが、加護六に至っては本気で心配している様子だ。

 一体、何をしたらこんな女性関係で心配されるのだろう。昨日修羅場を見ただけに、一色の過去を勝手に勘繰ってしまう。


 「誰が淫行だ。お前が訴えたいだけだろ」

 「あら、聞こえてたの?ごめんなさいね」

 

 二人の間に見えない火花が散る。

 その様子に陽子があわあわとしていると、加護六がそっと耳打ちする。


 「あの二人、いつもああなんで大丈夫です。なんか昔からの知り合いらしくって」

 「へぇ、喧嘩するほど仲がいいってやつですか?」

 「うーん、そこは犬猿の仲ですかね」

 

 全く文字を読めないのに諺を知っていることに失礼ながら内心驚く。

 

 「あっ、ちなみに四乃さんは見ての通り式神使いで三島さんがペアで、あとわたしの相棒の先輩に、上司の零子さんの六人が081ここのメンバーです」

 「あら昨日から陽子ちゃんもメンバーだから七人よ」

 「あ、零子さん!おはよーございます!」


 ピシッと加護六が敬礼する。


 「はい、おはよう。ほら、ちゃちゃっと朝礼するわよ」

 

 零子の声で皆が前方にデスクに集まる。


 「今日は特段新しい案件はなしなので、この子の自己紹介だけ」


 「陽子ちゃん」と手招きされ、前に進む。


 「もう皆知ってると思うけど、二見陽子ちゃん。アルバイト兼マスコット。一応外部にはパトカーとぶつかって入院中ってことになってるから、外に連れ出す時はばれないようにしてあげてね。じゃあ、解散!」


 バラバラに散って行く隊員たち。

 陽子も続けと動こうとするが、後ろから腕を掴まれる。振り向くと、零子がにっこりと笑みを浮かべていた。


 「陽子ちゃん、戻れたようね」

 「あっ、そうです!おかげさまで昨晩戻りました」

 「ふーん。何をしてて戻ったの?」

 「それがシャワーで・・・」


 途端、昨日のことが思い出され、顔に熱が集まる。

 流石に全裸を見られたのは恥ずかしい。


 「・・・あれ、もしかしてこれシキが逮捕されるやつ?」

 「ち、違います!あの、わたしが水を被っちゃって、それで戻りました、はい」

 「へぇ、なんからんま1/2みたい」

「らんま?」

 「ん、あ、知らないか。ごめん、こっちの話。じゃあ、お湯を被ったら戻ったりとかは?」

 「なかったです」

 「そっか・・・」


 うーんと腕を組み、何やらぶつぶつと唸る零子。

 しばらく待っていると何か決まったのか零子が顔を上げた。そして「シキ」と一色を呼ぶ。


 「なんか用ですか?」

 「あんた、しばらく陽子ちゃんの面倒みなさい」

 「「・・・はぁ!?」」


 二人の声が重なる。それを見た零子が「おお、息ぴったり」と手を叩く。


 「いや、ちょっと待ってください。犬ならまだしも、この姿で面倒見ろって・・・あんた頭おかしいのかよ!」

 「うん。でもね、なんでこの姿に戻ったかわからないままじゃ、今度はまたいつお犬様になっちゃうかわからない。それに三島から聞いたけど、契約紋がないってことは庇護が受けられないでしょ?そんな状態で野放しにしてたら、取り込まれる危険性くらいあんたならわかってるでしょ、シキ」

 「ッ・・・そうだけど」

 「シキ、わたしはあんたを信頼してる。大丈夫、何かあったらいい弁護士をつけてあげるから」

 「何かあることを前提に話すんじゃねぇ!」

 「ま、上もそれで了承してるから。文句があるなら直談判してきなさいな」

 「ッ・・・クソ」


 一色は一言吐き捨てると、上着を取って事務所を出て行った。

 

 「全く、大人げないんだから。陽子ちゃんもそういうことだからよろしくね。流石にあいつもそこまでクズじゃないと思うから何もないとは思うけど、何かあったら示談金踏んだくっていいから」

 「・・・あの、でも」

 「あ、それとバイト代とは別に、シキと一緒にいる期間は保護手当が出るよ。時給は・・・」


 手招きをされて顔を近づけると、零子が耳打ちする。

 告げられた金額に陽子の目は思わず飛び出しそうになる。ただ一緒にいるだけで出ていい金額ではない。


 「もちろん、時給換算だから寝ている間も報酬が発生するけどどうする?」

 

 無労働なのに時給が発生。

 他人に話せば羨ましがられるよりも訝しがられるだろう。

 美味しい話には裏があるに決まっている。そうわかっていても、飛び込まなければならないことが長い人生の中できっと一度や二度は訪れる。

 そしてきっとこの機会はそのうちの一つだ。

 

 「・・・わかりました」

 

 陽子が頷くのを見て、零子の口が綺麗な弧を描く。それはまるで赤い三日月のように思えた。

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