5、浮世離れ

 「あっ、シキさんおかえりなさい」

 

 先ほどまで誰もいなかったフロアには人影があった。デスクに座っていた男が人懐っこい笑顔を向けてくる。

 

 「おう」

 「遅かったですね・・・て、大丈夫ですか?なんか頬が赤くありません?そのにやられました?」

 「そんなわけねーだろ。これが犬の足型に見えるならさっさと病院行け。ところで三島みしま、今暇か?」

 「あははっ、この書類の量見て暇だと思うならシキさんこそ眼科行ってくださいよ。で、なんですか?」

 

 あ、そこは聞いてくれるんだ。

 話の流れ的に断ると思っていたのに見た目を同じくいい人そうだ。


 「俺ちょっと吸ってくるから、その間にこいつの名前考えといて」

 「はーい、了解です・・・で、えーと」

 「二見陽子ふたみようこです」

 「あっ、ご丁寧にどうも。なんだよかった、人語話せるんだ。僕どうも霊語れいご苦手なんだよね」

 「レイゴ?」

 「うん。ああ、ごめんね先に自己紹介させて。僕は三島蒼みしまあおい。三年目のまだまだ新人です。どうぞよろしく」

 

 手を出されたので同じく手を差し出すが、その様子は事情を知らぬ者から見ればお手をする犬そのものである。


 「そっか、二見陽子・・・ふたみん?ようちゃん・・・というか、なんで君そんなに人間っぽい名前なの?」

 「人間っぽいというか、人間ですし」

 「・・・・はい?」


 ぽかんとする三島。


 「ご・・・ごめん、聞き間違い?えっ、人間?えっ・・・でも犬」

 「わたしもよくわかっていないんですが、人間なんです」

 「えっ、でも、その気配は確かに式神だよね?」

 「すみません、わたしその式神とかレイゴとかよくわからないんです」


 そう言いながら陽子は自分の鞄から生徒手帳を取り出し、三島に渡す。


 「これがわたしです。西徳せいとく高校二年B組二見陽子」

 「・・・えっ、でもなんで?」

 「それがわたしもよくわからないんですが、あの一色いっしきという人に刺されまして」

 「えっ、刺された?呪具じゅぐで?」

 「じゅぐ?えーと刀でお腹をぶすっと」

 「・・・・」

 「おい、お前ら名前決まったか?」


 一服したおかげかどこか生き生きとした様子の一色が戻ってきた。

 

 「・・・シキさん」

 「なんだよ、そんな怖い顔して。お前も足りねーなら吸って来いよ」

 「あ、どうもすみません・・・じゃなくって!」


 机が揺れる。


 「なに一般人巻き込んでるんですか!しかも女子高生!」

 「いやいや、俺が巻き込まれたんだって」

 「ちょっ、それは違いますよ!わたしはただわんちゃんを守ろうとしただけです!」


 陽子はただ犬を守ろうとしただけ、それだけだったのだが。

 しかし、陽子の発言を聞いた三島はぴたりと動きを止める。


 「わんちゃんを守ろうとした?」

 「はい」

 「犬が見えていたんですか?」

 「えっ、ええ」


 こくこくと陽子が頷く。

 三島は訝し気に一色と陽子を交互に見てから小さくため息をつく。


 「わかりました。シキさんの件は一旦保留にしておきます」

 「さすが三島、話がわかる!」

 「ただし、陽子ちゃんが一般人だったらちゃんと報告しますからね」

 「わかったわかった。それで、こいつの名前何にする?」

 「・・・シキさん」 


 まるでゴミでも見るかのような目を向ける三島。

 その迫力に一色のみならず陽子も思わずヒッと息を呑む。


 「陽子ちゃんは人間なんです。ちゃんとしてください」

 「・・・・はい」


 さすがの一色もこの迫力の三島に逆らうなんて愚行には走らないらしい。

 三島には逆らわないでおこう。

 陽子はそっと心のメモに留めておく。


 「ところで、一体何があったんですか?僕、シキさんの式神が調伏失敗したところまでしか知らないんですけど」

 「調伏失敗じゃなくて逃げ出したんだよ。人聞きの悪いこと言うな」

 「穢禊みそぎの僕にはどっちでもいいんですよ」

  

 式神、霊語に続き、穢禊・・・。

 よくわからない単語に陽子の頭の中はクエスチョンマークが飛びまくる。

 

 「あっ、ごめん。わからないことばっかりだよね。えっと・・・じゃあ、まずこの世界の理から話したほうがいいね。陽子ちゃんはなんでシキさんに刺されたの?」

 「おい、その俺が犯罪者みたいな言い方やめろ」

 「実際一歩間違えればそうでしたよ。助かりましたね。それで、なんで刺されたの?」

 「えーっと」


 陽子は前日に犬を見つけたところから一色に刺されたところまでを説明する。


 「なるほど・・・まずその今陽子ちゃんと同化している犬ね。それは普通の犬じゃなくて一般の人には姿が見えていない」

 「見えていない?」

 「そう。その犬は元々シキさんの式神なんだ。だから霊力れいりょくがある人間にしか普通は見えない」

 「霊力」

 「うん。霊力っていうのは簡単に言うとあやかしが視える力かな」

 「お前、あの空き家で見ただろ化物」

 

 化物と言われて、体中に目玉があった蜥蜴を思い出す。

 

 「あれは彼岸に行くべき魂が此岸に残ってしまった成れの果てだ。俺たちは妖と呼んでいる」

 「妖・・・」

 「妖ってのは他にも人の怨念、邪念、恐怖などから生まれる。まあ、大抵はミックスが多いんだけどね」

 「ああ、今回のまさしくそのミックスだ。あの家は三十年前に父親が痴漢の疑いをかけられて自殺している。自殺した魂が残って呪縛霊にでもなって、そこに長年蓄積された邪念が噴出して現れたんだろう」

 「そして僕たち特殊捜査081係の仕事は、まさしくその妖を撃退すること」

 「・・・あの、質問してもいいですか?」

 「はい、どうぞ」

 「その、妖が悪さをするとどうなるんですか?」


 妖はとても怖かった。

 今でも目を瞑れば、思い出すほどしっかりと脳に焼き付いている。でも、今日の今日まで妖のせいで何か不都合が起こったなんて話は聞いたことがない。


 「うーん、まあ色々あるんだけど、例えば自殺、集団感染、行方不明や失踪、交通事故。特に交通事故は約半分は妖のせいだよ」

 「えっ、そんなに!?」

 「うん。よく交通事故が起こる場所ってあるけど、あれはほぼほぼ妖かそれに準ずる呪縛霊の仕業だね。皆視えない、聞こえない、知らないってだけで結構妖って悪さしてるんだよ」

 「まあ、たまに強い妖だと姿が一般人にも視えることがある。それが俗にいう心霊現象だ」

 「でも・・・じゃあ、なんで心霊スポットってなくならないんですか?」


 081係が仕事をしているというのであれば、有名な心霊スポットはなくなって然るべきだと思うのだが。


 「うーん、なかなか痛いとこついてくるね。まあ、そこは大人の言い訳になっちゃうんだけど、心霊スポットって聞くだけでも恐怖を感じる人が一定数いて、その恐怖が元になって妖が発生しちゃうんだよね。だから心霊スポットっていくら撃退してもまた出てきちゃうんだ。だからああいうところは基本的に人に悪さをしない程度の時は放置しておいて、被害が出始めたら僕たちが出動するって流れになってるんだよね」

 「はっ、こちとら人手不足で万年超過労働だってのにいいご身分だ。何が嬉しくてわざわざ穢れに行くかねぇ」

 「穢れ?」


 またもや新たなワードだ。


 「うん。穢れってのは妖となんらかの接触をしてしまった人に纏う邪気のこと。これがあるとまた妖を引き寄せるから穢禊が必要になる。そこで活躍するのが僕、穢禊師です」


 どんと胸を張る三島。


 「ちなみに妖を祓うことができるのも穢禊師だけです。式神使いは主に穢禊師の補佐。テニスでいう前衛と後衛みたいなもんだよ」

 「じゃあ、穢禊師と式神使いは一緒に行動するんですか?」

 「おっ、さすが西徳生!飲み込み早いね。そう、だから基本は穢禊師と式神使いはタッグを組んで行動するよ」


 へぇ、と話を聞いていた陽子だが、ここでまた疑問が生まれる。


 「でも、一色さんは式神使いなのに一人で妖を退治してましたよね?」

 「ああ、うん。シキさんはこう見えて一人で式神使いと穢禊師ができるんだよ」

 「おい、だからこう見えて余計だ。こう見えては、たくっ」


 一色が立ち上がる。


 「あれ、シキさんどこに行くんですか?」

 「お前の話が長いからコーヒー飲んでくるわ」

 「あっ、じゃあ僕カフェラテで。陽子ちゃんは何がいい?おすすめはカフェオレかカフェラテかな」

 「じゃあ、カフェオレで」

 「シキさーん、陽子ちゃんはカフェオレですってー!」


 すでに出入り口に差し掛かっていた一色に三島が叫ぶと、一色はだるそうに片手をあげた。


 「よかったね。すぐ近くにテイクアウト専門のコーヒーショップがあるんだけど、そこシキさんの行きつけなんだ。酸味が少なくて、苦味が強いのが特徴なんだよ」

 「へぇ、そうなんですね」


 コーヒーなんて殆ど飲んだことのない陽子にとって、その話題は今までの話題と然程変わらずどこか浮世離れした話に思えた。

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