第2話 印南椿季
「友人」。その言葉の響きなるものを最後に聞いたのはいつの日の事だっただろう。対人関係を築いてこなかった私にとって友人なんてできるはずもなかった。「生きていくには自分一人で十分。」それは私の口癖のようなものだった。だから、学校に行くのも好きではない。流石に高校生最初の登校日くらいは行っておかないとという思いと何か自分の中でも変化が生じているかもしれないというひそかな期待が私の足を学校へと向かせた。
「失敗した…。」
やはり私に変化などなにも訪れていなかったのだ。努力も何もしていないのに劇的な変化があるわけがない。教室内にいる人の多さに圧倒されつつも何とか自分の席に着く。窓際の最前列…なかなかのポジションだ。さて、話しかける相手もいなければ話しかけれ来る奴なんてもちろん一人もいない。そこで私は窓の外に目をやり、春色に霞んだ空を見上げる。遠ざかる山々にぽつりぽつりと映える桜色が私の心をかすかに軽くする。そうやって視線を移しているうちに一つの鳥が私をとらえた。鮮やかな青い羽根を校舎の屋上の小屋で休めているようだった。しかし私の意識はその鳥よりも屋上の謎の小屋にあった。一体あれは何なのか。頭の中でひたすらに考える。「用務員室?」いや、そんなものを屋上に作る必要はないし…。その時、どこかで私を呼ぶ声がした。すっと振り向いたがどこにも私を呼んだように見える人はいなかった。それどころかさっきよりも教室に人が増えてきていることに今更ながら気づいた。
本能的に自分の席を立ち教室を後にする。やはりダメだった。そのまま校舎を出ようとも思ったが屋上の例の小屋が気になる。ぱっと諦められそうにもなかったので手探りでそこへ向かってみる。やっと見つけた屋上に続く階段の途中には電気もなく心なしか不気味だった。幸い、屋上への扉にかぎは掛かっていなかった。そして、足早にその小屋の入り口まで行ってみる。中をのぞくとそこには鍬やじょうろといった園芸セットが整理しておいてあった。「なるほど、部室か…」特段面白いものでもなかったのでそのまま家路についた。
ところで、さっきの声の主はいったい誰だったのか。私の名前を呼ぶ人。どれほどぶりに自分の名前を聞いたであろうか。その声は生き物の芽生えを思わす春の陽気のように温かく冷えた私の心を包んでくれるようで聞いていて心地が良かった。
家に帰りほどほどに勉強を済ませたらもう寝る時間になっていた。頭の中で朝聞いたその声の心地よさを反芻しながら床に就く。
もう一度、その声が聞いて見たい。だから…
「もう一日頑張ってみようかな。」
そして私は思いがけぬ一歩を無意識のうちに踏み出したのだった。
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