エピローグ

 三毛猫のハルを肩に乗せて、アキは大通りを歩いている。

 時折、すん、と鼻を鳴らすのは、油の匂いを気にしているからである。一度空に行けば、『フユ』という名の飛行機をぴかぴかに磨きあげるのがナツとの約束だった。だからまる一日かけて、汚れ一つないほど綺麗に磨きあげていた。

 辺りはもう真っ暗だった。

 もうへとへとだった。

 早く、どこかで眠りたかった。

『フユ』の中で眠ると、「俺の恋人を寝取るとはいい度胸だなこの野郎!」とナツに怒られてしまう。

 だから、どこか別の場所が必要だった。

 どこでも良かった。

 本当に、どこでも良かった。

 アキはそう思っていたはずだった。

 それでも、その足は何故か、一つの場所を目指して歩いていた。

 黄色い看板は、斜めに傾いていた。

 ブタを抱いた女の子は、半分のところで折れて、地面に寝転がっていた。

 サクラとヒナ。

 二人と出逢った場所だった。

 入口を探すまでもなく、中は既に開けている。壁は半分以上無く、食料品がばらばらと散らばっている。

 フルーツも肉もパンも、そのほとんどが泥まみれだった。

 アキはがっくりと肩を落とす。

 ハルも哀しげに、にゃうー、と鳴く。

「ゆうはんは、いいよね……」

 そんな元気も、もう無かった。そもそも食べられるものがあるとも思えなかった。ハルもその意見には同感のようで、肩に乗ったまましっぽをぱたぱたと振る。

 静かに足を踏み入れて、どこか眠れる場所を探そうとアキは思う。なかなか良さそうな場所は見つからなかった。

「ハル、ほかのばしょ、さがそうか……」

 アキが力無く呟いたとき、肩に乗った三毛猫のハルがぴょん、と不意に跳び降りる。

 しっぽを立てて、お尻を振って、瓦礫の山をひょいひょいひょい、と歩いていく。

 そして振り返ると、

 にゃーっ!

 長く鳴いた。

「よさそうなばしょ、あった?」

 アキは最後の力を振り絞って、たたたたと駆け出す。二、三度瓦礫が崩れて「ひゃう!」と声を上げたものの、無事にそこに辿り着き、

 ふにゃあ

 ハルが鳴いた。

 眠そうに歩くと、ハルは足元で丸くなる。

 ちょうどホールの一番隅。はじめ戦闘機があった場所は、床も綺麗なままで、瓦礫が崩れてもいなかった。

 それはきっと寝る場所には最適だった。

 ただ、先約が居た。

 アキは、そこで眠ろうかどうか、少し悩む。

 サクラとヒナは、穏やかな寝息を立てて、静かに眠っている。ちょうど二人が向き合って、寄り添って、それはとても幸せそうな光景で。

「ハル、じゃましちゃ――」

 そこまで言ったとき、三毛猫のハルがぴくん、と耳を立てる。ぺし、と揺らしたしっぽは、何かを指し示しているようで、アキがそこを見れば、そこには。

 嬉しさで、アキは泣き出しそうだった。

 涙を堪えたのは、サクラとヒナを起こさないように、ただそれだけだった。二人が起きていたら、きっとわんわん泣いて、顔は涙でぐしゃぐしゃだっただろう。

 二人で選別したのだろうか、あの中でも無事だった食べ物が袋詰で置いてある。そこにはアキの好きなオレンジがたくさん詰まっていて、思わず口元が緩んでくる。

 でも、それ以上にアキが喜んだのは、袋にこう書いてあったからだった。


『アキのぶん』

 

 と、大きな文字で、確かに。

 付け加えて小さな文字で、『全部食べてもいいからね』と書いてある。

 嬉しくて嬉しくて、アキはその袋に手を伸ばしたが――やはり、疲れていたのだろう。

 そのままアキは、ぱたん、と倒れる。ちょうどサクラとヒナの間で、まるで三人は、本当の姉妹のように眠っている。

 そこで三毛猫のハルも、安心したように目を閉じる。ぱたぱたと揺れるしっぽが、ゆっくりとおとなしくなる。

 アキの唇から漏れる寝息は、規則正しく、安心しきっていることがよく分かる。

 それはアキが、ナツと別れてから、はじめての、本当にはじめての穏やかで深い眠りで、その表情は、どこまでも幸せなものだった。

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ハルのこえ、アキのうた 壱乗寺かるた @ichikaruta

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